学法石川の「三刀流+α」大栄利哉が苦難を乗り越えスケールアップ 打倒・聖光学院、甲子園春夏連続出場を誓う (4ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki

【チームのいい見本になる選手】

 センバツ後の4月から下半身の練習メニューを少しずつ増やしていった。細くなった左足の筋肉を増やすため、坂道ダッシュなどのアジリティを高めていき、5月上旬にはすべてのプレーにおいてトップフォームまで状態を取り戻すことができたのだという。

 万全を期して臨んだ春の県大会。学法石川の主戦を託されていたのは、背番号2だった。

 先発した初戦の会津工戦で2回をパーフェクトに抑えて復活をアピールすると、つづく東日大昌平戦では2失点の完投劇を演じた。だが、昨秋から佐々木が懸念していた「怖さを知ること」。それが現実のものとなったのが、準決勝の聖光学院戦だった。

 先発したこの試合、バッテリーエラーなどミスが重なったとはいえ、6回を投げ7安打4四球。自責点は3ながら6失点と、相手に飲み込まれる大栄の姿があった。

 昨夏の県大会決勝が蘇る。タイブレークとなった延長10回裏に4点差を逆転されるなど、王者の力をまざまざと見せつけられた。

「力の差を感じました。相手の全員で束になって向かってくる姿勢もそうですし、一人ひとりの気迫も怖く感じました」

 言葉だけを捉えれば、感情はネガティブだ。しかし、大栄はうつむくことなくひと言、ひと言を強く結んでいた。

「自分たちの弱さが出たと思って、夏はチームとして心をひとつに戦っていきたいです」

 その佇まいは、恐怖心すらプラスに転換しているようでもあった。

「大栄は物怖じしませんから。努力家ですし、チームのいい見本になる選手なので」

 監督も認める2年生の中心選手。センバツの苦難を経て復活した男が3本の刀を研ぐ。一段と切れ味が増した武器を携え、自ら誓った場所へ舞い戻る。

(文中敬称略)

著者プロフィール

  • 田口元義

    田口元義 (たぐち・げんき)

    1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。

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