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35歳のオールドルーキー 無名の日本人投手・高塩将樹が台湾プロ野球からドラフト指名を受けるまで (2ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi

 台湾楽天の取材が落ちついたあと、件のメッセージが彼から舞い込んでいたというわけだ。

「マサキ? 誰?」

 そう返すと、ブリスベン・バンディッツ(オーストラリアウインターリーグ)のユニフォームを着た東洋人の若者の写真が送られてきた。

 すぐに答えは出なかったが、そのうちひとりの日本人の名前を思い出した。その写真は、若き日の高塩のものだった。

 高塩はプロ野球選手も多く輩出している神奈川大でプレーするも、ドラフトにかかることはなく、クラブチームでプレー。その後、一念発起して2012年に独立リーグの世界に飛び込んだ。

 入団したBCリーグの富山サンダーバーズでは、すぐに主戦投手となった。1年目5勝、2年目9勝、そして3年目にはローテーションの柱として10勝を挙げた。

 しかし、ドラフトで彼の名前が呼ばれることはなかった。すでに25歳を迎えており、この年齢をすぎるとスカウトたちは「伸びしろ」を理由に、球団に獲得を進言することはほとんどなくなるのが現状だ。

 高塩は富山を退団し、2014年にオーストラリアへと向かった。ここで初めて彼のピッチングを目にしたのだが、メジャー経験者もいる相手打線を小気味いいピッチングで6回無失点に抑えてきた。

 数日後、旧知のオーストラリア選手と、もうひとり在籍していた日本人選手を交えて食事をすることになった。その時、その日本人選手が高塩を誘ったそうだが、断ったという。

 ウインターリーグの取材中、彼に声をかけても返事を返してくれることはほとんどなかった。いくら結果を残してもNPBの重い扉を開けない現状に苛立っていたのか、この時の高塩は人を寄せつけないオーラを放っていた。

 2015年になると、BCリーグに新球団・福島ホープスが誕生。その新球団のロースターのなかに、高塩の名前があった。NPBの夢は叶わなくても、独立リーグが拡大を続けるなか、プレーする場はいくらでもあった。

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