高知「背番号17」の快投の裏にラプソードあり 武器のカットボールをどう使ったのか

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 大友良行●撮影 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 桑田真澄・清原和博の「KKコンビ」がいたPL学園が日本一になった1985年夏の甲子園。その大会に出場した55歳の元高校球児は、長男が入場行進をする開会式を見るために、30数年ぶりに甲子園を訪れた。

 その男性は、高校野球の変化について次のように語った。

「高校野球は、俺たちのころとは何もかも違うよね。ピッチャーだったら『とにかく走れ、たくさん投げろ』と言われて......それで故障が増えても、ピッチングが上達したという実感はなかった。うちの息子もそうだけど、今の高校生は練習するのが楽しいみたい。昔は『苦しいことの先に勝利がある』と教えられたものだけど」

 自分の成長を実感できれば練習は楽しくなる。前向きに練習に取り組むことで技術は上がる。

 北陸(福井)との1回戦で、高知(高知)の先発マウンドを任されたのは背番号17の辻井翔大(2年)だった。173cm・73kgとピッチャーとしては小柄な部類に入る。秋季四国大会では、中継ぎとして5試合11イニングしか投げていない。

高知のセンバツ初戦の先発を任された背番号17の辻井高知のセンバツ初戦の先発を任された背番号17の辻井この記事に関連する写真を見る この試合では初回に1点を失ったものの、8回途中まで耐え抜いた。秋季の北信越大会王者を4対1で下したあと、高知の濱口佳久監督はこう語った。

「新2年生なので仕方ないんですが、緊張のせいで辻井は初回にはボールが上ずり、変化球のコントロールもよくなくて心配しました。でも、その後はスライダーやカットボールをうまく使って投げてくれました」

 辻井は初回、死球と四球で招いたピンチを最少失点で切り抜け、甲子園での初打席となった2回表のチャンスでは自ら三塁打を放って逆転。以降、北陸打線にヒットを許しながらもスコアボードに0を並べていく。被安打6、5奪三振というピッチングだった。

「背番号1をつけた西村真人(3年)の故障もあって、秋季大会で経験を積んだ辻井を軸で起用することを考えながら冬の間を過ごしていました。こちらの期待通りに伸びてくれましたね。ラプソードという機械を使って、腕の角度、ボールの回転数、軸の角度などを測ったら非常によかった」

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