軟式で最速151キロの四国明治・赤尾侑哉はドラフト「隠し玉指名」なるか。巨人・大勢が「プロ挑戦のきっかけをくれた」 (2ページ目)

  • 寺下友徳●取材・文 text by Terashita Tomonori
  • photo by Terashita Tomonori

「普通の投手」から急成長したきっかけ

 赤尾は小学3年の時に坂出加茂スポーツ少年団で野球を始め、白峰中を経て、祖父の範明さん(1958年春甲子園出場)、父・純郎さん(1988年夏甲子園出場)のあとを追い、坂出商に進学した。

 しかし、高校時代は本人いわく「最速130キロくらいの普通の投手」。最後の夏はのちに甲子園ベスト8入りを果たす三本松に1対4と善戦するも初戦敗退で甲子園出場はならず。「キャプテン、三本松のところだけは引いてくれるなと思っていたら......。抽選結果を聞いた瞬間、『終わった』と思いました」と赤尾は苦笑いしながら5年前を振り返る。

 関西国際大入学後も、同期の翁田大勢が2年春にリーグ戦デビューを果たした一方で、チャンスをつかめない日々が続いた。そんな彼に日が差し込んだのは、2年冬に訪れた坂出商での出会いである。

 球速が上がらない悩みを、今も坂出商の指揮をとる井吉信也監督に打ち明けた。香川オリーブガイナーズで2005年から4年間、中心選手としてプレーした経験を持つ井吉監督のアドバイスは的確だった。

「下半身を使って投げるためのトレーニングドリルがあったのでそれを教えたんです。そうしたら指にボールがかかりだしたんです」と井吉監督。

 赤尾は「左膝のキックバックができるようになって、腕も走るようになった」と説明。大学3年時にはリーグ戦登板し、球速も最速146キロまで伸びた。「自分で自分のフォームを管理できるようになった」と話す。赤尾のベースはここでつくられた。

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