かつて「鬼」と恐れられた大垣日大の阪口慶三監督。今も闘志は健在だが、「厳しいだけじゃなくなった」 (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

3元号すべてで勝利した監督

 大垣日大(岐阜)の阪口慶三監督は、東邦(愛知)の監督として、1977年夏の甲子園で準優勝、1988年春のセンバツは宇和島東に敗れて準優勝に終わったが、1989年春に日本一になった。彼もまた「鬼」と恐れられた監督だった。

 教え子のひとりは言う。

「3時間くらいぶっ通しで監督がノックをすることはよくあった。選手たちは体力がなくなってヘロヘロになって何も考えられなくなっているけど、その時に勝手に体が動いてパッと捕れることがある。

 県予選の決勝とか甲子園みたいに『絶対にミスできない』という場面では、守っている人間は当然、緊張してるわけ。その時に、頭で考えたことはなかなかできない。体で覚えるためには、数をこなす必要があって、合理的な練習だけでは難しいと思う。緊張でガチガチになった状態でもいつもどおりにプレーできるように。そういうことを阪口監督には教えてもらった」

 365日野球漬けが普通だった時代に、坂口は革新的な取り組みをしていた。

「指導の中身を知らない人には前近代的な"根性野球"をする監督だと思われるかもしれないけど、先進的な部分もあって、あの当時、月曜日は練習が休みだった」

 当時から「練習と休養は車の車輪。どちらが欠けても車は走らない」という考えだった。

78歳になっても甲子園を目指す

 阪口監督が率いる大垣日大は、センバツ1回戦で只見(福島)を下した。1944年生まれ、77歳の阪口監督は3元号(昭和・平成・令和)すべてで勝利を記録した初めての監督となった。自身の孫である高橋慎のタイムリーヒットで先制し、甲子園通算39勝を挙げたあと、こんなコメントを残した。

「センバツ出場が決まって、記者の人たちにそのこと(3元号勝利)について聞かされましたが、特に意識したわけではありません。(孫のタイムリーヒットには)感激しました。あとで頭を撫でてやります」

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