上野由岐子、ソフトボールへの「恩返し」。五輪連覇に「13年前とは向き合い方が180度変わっている」

  • 松瀬 学●文 text by Matsuse Manabu
  • photo by JMPA

 その後藤は荒々しいフォームで、米国打線にいどんだ。小学校3年生の時、北京五輪の「上野の413球」に感動し、ソフトボールを始めた"シンデレラ・ガール"。いや救世主だ。もし新型コロナ禍で東京五輪が1年延びていなければ、五輪マウンドに立つことはなかっただろう。長いリーチを生かし、110キロ前後の速球を投げ込んだ。勢いがあった。

 だが中前打を打たれ、6回一死一、二塁となった。ここでミラクルが起きた。猛練習で培った野手たちの集中力と連携があればこそだろう。米国打者の痛烈な打球がグラブを伸ばした三塁手・山本優の左腕にあたり、跳ね上がったボールを、ショート渥美万奈がノーバウンドで好捕した。

 二塁走者がベースを離れたところ、二塁手の市口侑果に送球し、アウトとした。ダブルプレーとなりチェンジ。もし打球が抜けていれば、タイムリー左前打となるところだった。

 最終7回、上野が再び、マウンドへ。上野の述懐。

「途中、リリーフで投げてくれた後藤が顔面蒼白(そうはく)で、いっぱい、いっぱいで投げてくれたのを見て、逆に自分がやるんだと奮い立たせてもらった。そのおかげで、最後、気持ちを強く投げることができた」

 2-0の快勝だった。北京五輪の決勝戦はひとりで投げぬいた。だが、今回はふたりでつないだ。そこが違う。貴重な経験を後輩に残した。「世代交代」を予感させた。次代のエース、後藤は「最高にうれしいです」と声を弾ませ、言葉に実感をこめた。

「いい経験を積ませてもらったので、それを今後のソフトボール人生に生かしていきたいです。一生に一度しかない東京五輪を経験でき、最高の気分を味わえました」

 この13年、いろんなことがあった。上野が26歳の時の北京五輪優勝の後、ソフトボールが五輪競技から一時除外されこともあり、現役引退を考えた。いわば「燃え尽き症候群」か。実際、指導者になるための資格もとった。

 ある日、所属チームの監督を務めていた宇津木監督からこう、言われた。「今度はソフトボールに恩返しをする番じゃないか」と。

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