「ホリエモン球団」の若社長はどんな人? なぜ30歳でいきなりトップに? (2ページ目)

  • 阿佐智●文・写真 text & photo by Asa Satoshi

 高校卒業後は立命館大学法学部に進学。「金子侑司(西武)と同級生なんですよ」と言うが、野球部には入っていなかったので面識はない。サークルをいくつかかけ持ちするごくごく普通の大学生活を過ごすと、地元広島の銀行に就職した。

 だが就職してしばらくすると「ここじゃないな」と、わずか2年で退社。かといって、何かやりたいことが明確にあるわけではなかった。

「ほかの可能性を探したい」

 要するに「自分探し」だ。そこで出会ったのが、かつて「激しい人」として記憶していた堀江氏の著書だった。

「堀江さんの本に影響されて......とりあえず野球が好きだったので、ヒッチハイクで12球団の本拠地を全部回ったんです。札幌も行きましたよ」

 その後、アルバイトで貯めたお金でフィリピンに暮らしたこともあった。ひと通り自分探しの旅を終えると、今度は東京で商売を始めることにした。

「最初は民泊をやりました。お金がないから賃貸物件で始めました」

 そのうち法規制が厳しくなったため民泊からは撤退し、中古家電の買い取り、販売を手掛けるようになった。これが思いのほかうまくいき、年収700万円ほどになった。それでも何か満たされない。つまり「面白くない」のだ。

 そのうち商売も行き詰まり、再びどうしようかと考えている時、またしても"ホリエモン"に出会う。堀江氏がオンラインサロンを開設していることを知ったのだ。月1万1000円とそれなりの価格設定だが、「飲み代と思えば安いもの」と槇原は迷わず入会した。

 そこで槇原は、堀江氏が言う「生き方改革」という言葉に感銘を受けた。

「サロンメンバーのスタンスが基本『面白いことをしようと』というもので、そのうえで『じゃあ、どうやって稼ごう』というスタンスなんです。普通はまずお金を一番に気にするんでしょうけど、ここでは『面白そう』が一番。もちろん、そのうえでお金をどうするかという話にはなりますけど。

 僕も商売をやってそれなりに稼いでいたんですけど、東京生活にもちょっと飽きた頃で......それまでは『遊びたい』が最優先で商売をしていたんですけど、これからは社会貢献とか、そういうところで面白いことをしてみたいなという気になったんです」

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