元ソフトバンク島袋洋奨が母校で指導者に。甲子園優勝経験を育成に生かす

  • 加来慶祐●文・写真 text & photo by Kaku Keisuke

「今日は打者を圧倒できているな」

 春の沖縄大会を制して九州大会に出場した興南高校。最速145キロのストレートを軸に、昨年秋の九州王者・大崎高校(長崎)を相手に9回一死まで3安打、12奪三振という快投を演じた山城京平をスタンドから静かに見守っていた新米コーチが称える。

 コーチの名は島袋洋奨。2010年に興南のエースとして甲子園春夏連覇を達成。その後は中央大を経てソフトバンクに入団するも、2019年に戦力外通告を受け現役を引退した。

今年2月に興南高校のコーチとなった島袋洋奨今年2月に興南高校のコーチとなった島袋洋奨 引退後は母校である興南の事務職員を務めながら、今年2月5日に学生野球資格回復の認定を受け、晴れてコーチとなった。現在は事務職員を務めながら、グラウンドではおもに投手を担当し、甲子園を目指す選手たちの指導に当たっている。

 高校時代の大活躍もあって、沖縄では"英雄"として今も絶大な人気を誇っている。しかし、華々しいスポットライトを浴びた一方で、大学時代はヒジの故障やイップスに陥るといった挫折を経験。ドラフト5位で飛び込んだプロの世界でもケガとの戦いを強いられ、5年間の在籍で一軍登板はわずか2試合。結局、1勝も挙げられずにユニフォームを脱ぐという厳しい現実を突きつけられた。

 恩師である興南の我喜屋優監督は人生をスコアボードにたとえ、「高校時代はあくまで試合序盤。最終的にしっかり根を張り、花を咲かせばいい」と教え子たちに説いている。しかし、まだ28歳の島袋については「すでに人生のスコアボードの中盤に差しかかっている」と我喜屋監督は言う。

「彼は高校野球ですばらしい花を咲かせた。しかし、どんな花でも必ず散るのです。ただ、散ったあとにどういう根っこづくりをして、再び花を咲かせていくのか。その姿を子どもたちに見せてくれることを期待しています」

 大学、プロとさまざまな指導者と出会い、多くのことを学んできた。それを教材にしながら、一方的に押しつけるのではなく、多様的で、かつ選手たちからのリアクションが得られる指導者になる。それが島袋の目指す形であり、我喜屋監督も大いに期待しているところである。

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る