「静」の天理と「動」の仙台育英。采配に表われる両監督のバックボーン (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 中村が母校の監督に就任して6年目になるが、恩師の背中を追っている自分に気づく。天理を二度も日本一に導いた前監督・橋本武徳とのエピソードを、『補欠のミカタ レギュラーになれなかった監督の言葉』(徳間書店)の中で語っている。

「僕たちが2年生だった1985年春のセンバツに出させていただいたんですが、夏は県大会の決勝で智弁学園に負けました。その秋に近畿大会で優勝してセンバツに出られることになっていました。橋本先生に『練習中に音楽をかけてもいいですか?』とお願いしたことがあるんです。『甲子園は大歓声で、指示の声が聞こえないから』というもっともらしい理由を添えて」

 選手たちは、プロ野球のように音楽をかけながら練習したいだけだった。彼らの本心を知ってか知らずか、橋本監督はすぐに「やろう」と答えたという。

「なぜか、ウォ―ミングアップのときから音楽を流しても何も言われませんでした。選手の意思を尊重して、野球をさせてもらったなと思いますね」

 その橋本監督に「史上最高のキャプテン」と称され、1986年夏に全国制覇を果たすことになる中村は、「何かあったら言ってこい。できるだけ聞いてやるから」と言われていた。

「ある日調子に乗って、『みんなが疲れているので、明日の練習は午前だけにしてもらえませんか?』とお願いしたら、『わかった。午前中だけ全力でやってくれ』と言われました」

 疲れているのは本当だったが、半休をもらった選手たちが寮でじっとしているわけがない。中村を先頭に、喜び勇んで遊びにでかけた。人心掌握術に長けた監督はすべてをお見通しだったはずだ。

「そういうことをわかったうえで、やらせてくれる方でした」

 3月28日に行なわれるセンバツ準々決勝の第1試合で、ベスト4をかけて天理と対戦する仙台育英の須江航監督は、高校野球の指導者になるまでに13年間、仙台育英の系列校である秀光中等学校の軟式野球部監督を務めた。

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