「静」の天理と「動」の仙台育英。采配に表われる両監督のバックボーン (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 野球部の創部は2005年。2006年に須江が監督に就任した時には、部員が12人。ほとんどが野球未経験者だったため、ルールから教える必要があった。

「ルールさえ知らない子がいて、打った瞬間に3塁に走り出して驚きましたよ」

 仙台育英から八戸学院大学に進んだ須江には初めての体験ばかりだった。

「でも、それが自分にとってはよかったんです。弱いなんてもんじゃないチームに、立ち上げから関わることができましたから。自分がまったく知らない世界でした。野球どころか、運動とも縁遠い子がたくさんいましたよ。

 当時はまだYouTubeみたいな動画も出回ってなかったので、野球の教則本を買って、それを見せながらボールの握り方から教えました。守備位置にラインを引いて『サードの守備範囲はこのくらい。ここに飛んできた打球を捕るんだよ』と説明しながら」

 須江はこの時、知らず知らずのうちに、目線を下げることを覚えたのかもしれない。

「彼らにルールを説明しながら、『勝率を上げるためには、野球という競技のゲーム性を理解させないと』と思いました。その本質がわかっていれば、カテゴリーが上がっても対応できる選手になる」

 非力な中学生と一緒に野球を学び直した須江は、硬式球と比べるとヒットが出にくい軟式野球で全国優勝の経験がある。隙あらば攻める、積極的に仕掛ける監督だ。

 センバツ1回戦の明徳義塾戦、2回戦の神戸国際大付戦でも随所に「らしさ」を見せた。ランナー2塁からヒットエンドランを仕掛け、失敗しても果敢に盗塁を試みる。スクイズを使って手堅く加点する場面もあった。

 2回戦の試合後には、「ピッチャーに足を意識させて、ワンバウンドになるような落ちる球を使いにくくしたかった。走力がそれほど高くない選手でも、足は欠かせない」とコメントしている。

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