常総のエースが母校監督になり34年ぶり甲子園。センバツでも強運発揮か (3ページ目)

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • photo by Sankei Visual

 その関東大会では代わりにサードに入った伊藤琢磨が活躍。セカンドにはその伊藤をはじめ、太田和煌翔(おおたわ・きらと)、岡野慎之助の3人を起用すると、全員が1試合3安打を記録。積極的な起用が当たった。

「木内(幸男元監督)さんもやっていたと思いますけど、埋もれている選手を1回使おうと。競争意識が強くなれば、相乗効果が出てくるんじゃないかと思います」

 このほかにも島田監督が求めたのは、確率の高い打撃を徹底すること。転機は1対2で敗れた県大会前の県南選抜大会での藤代との試合だった。

「27個のアウトのうち、18か19個がポップフライだったんです。その時に『おまえら、ポンポン打ち上げて何になるの?』と。スイングはいいけど、それだけで点は取れないし、野球にならない。『そのスイングでセンター返しを意識しろ。練習から強い打球を心がけろ』と言いました」

 その結果、茨城県大会から関東大会の10試合で本塁打はゼロだったが、チーム打率.362を記録し、関東大会決勝まで勝ち進んだ。

「ホームランが打てなくても、結果が出たわけじゃないですか。僕は投手をやっていて、ホームランはもちろん痛いですが、ソロだとそれほど気にならない。むしろ毎回ランナーがいて、どんどんつなげられたほうが嫌でした」

 もうひとつ、チーム内で厳しいことを言い合うこと、ミスを流さないことにもこだわった。

「けん制アウトとか、セーフティースクイズでバットに当たってないのに飛び出したり......それを『ドンマイ、ドンマイ。次、次』とか言っているわけですよ。そこはドンマイじゃないだろうと。ダメなものはダメと言い合えるチームにしようと」

 取材中のソフトな語り口とは対照的に、公式戦になると負けず嫌いのスイッチが入る。

「大会は負けたら終わりじゃないですか。だから、大会中はとくにそこを意識しました。ダメなものをそのまま続けて、まだ同じミスをしたら後悔する。とにかく負けるのは嫌ですし、あえて厳しく言いました」

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