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ドラフト指名漏れから2年。愛知の快腕・
栗林は社会人No.1投手に成長した (2ページ目)

  • 大友良行●文 text by Ohtomo Yoshiyuki
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

 DeNAの河原隆一アマスカウトグループリーダーは、栗林について次のように語る。

「大学時代は、腰高なためにボールが高めにいくことが多かったのですが、今年は腰を低く持ってこられるようになって、低めに集まるようになった。代表決定戦のホンダ鈴鹿戦では、8回に1点を取られましたが完投。左打者に対してのスプリットが有効でした。球速はアベレージで145キロぐらい。上から投げ下ろすから角度があるし、スタミナも十分。カーブも武器になるし、カットボールで空振りが取れるのも魅力です」

 愛知出身の栗林は小学2年で野球を始め、中学は軟式のクラブチームに所属し、東海大会3位の実績を持つ。高校は愛知黎明に進学。投手希望だったが、バッティングセンスを買われ野手として起用されていた。2年夏には「3番・遊撃手」として県大会準優勝。2年秋から投手兼任となり、3年春は「4番・エース」で県大会ベスト8。最後の夏は5回戦で敗退し、甲子園出場は果たせなかった。

 大学は東海地区を中心に九州の大学からも誘いがあったが、いずれも打撃を評価されてのものだった。そのなかで名城大は投手と野手の"二刀流"に挑戦させてくれるということで進学を決めた。

「その頃はプロに行きたいとは思っていませんでした。『野球で就職できたらいいなぁ』くらいで」

 投手経験が少ないのに、1年春から登板できたのはどうしてだったのか。

「上級生にいい投手がたくさんいたのですが、みなさんケガや不調で、たまたま自分に出番が回ってきて結果を出せた。タイミングと運がよかったと思います」

 そこから投手として頭角を現した栗林は、大学通算32勝をマーク。3年春には中京大を相手にノーヒット・ノーランを達成した。また、3年夏には大学日本代表にも選ばれた。大学での実績は申し分なかったが、プロからの指名はかからなかった。

 それでも社会人の名門・トヨタ自動車に入った栗林は、投手としてさらに磨きをかけ、押しも押されもせぬドラフト1位候補となった。

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