元ホークス島袋が天才と認めた「興南の5番」。
柳田悠岐のような長打力が魅力 (2ページ目)
その後、2年間は野球から離れていたが、沖縄のホテルチェーン「Mr.Kinjo」がクラブチームを創設するということで銘苅に声がかかった。幸い、2年間プレーしなかったおかげで膝の状態はよく、再び野球と向き合うことになった。
ところが、母体の経営不振がたたって野球部は1年半で廃部となってしまう。普通なら、ここで道は閉ざされてしまうのだろうが、銘苅の野球人生はまだ終わらなかった。
今年1月に沖縄の物流、広告事業を中心とするシンバボールディングスが社会人野球チームを発足することになり、銘苅はコーチ兼選手として呼ばれた。
真っさらな状態で一からつくっていく新設のチームといえば聞こえがいいが、部員はたったの13人で、練習場もなし。目の前に艱難辛苦(かんなんしんく)が待ち受けていることは明白だった。
集まった13人のうち、銘苅を含んだ6人が元Mr.Kinjoのメンバーで、残りの7人も彼らの伝手をたどって集められた、いわば寄せ集めの選手たちである。県内の野球関係者からは気にも留められず、むしろ揶揄される存在だった。
沖縄の社会人野球チームはクラブチームを含めて6チームあり、そのなかでも都市対抗の常連でもある沖縄電力の1強時代が続いている。なんとかその牙城を崩したく、シンバは照屋信博監督のもと、銘苅を中心に始動することになった。
銘苅の才能は高校時代から傑出していた。島袋はこともなげにこう語る。
「身体能力の高さでいったら、銘苅はズバ抜けていました。首都圏の大学できちんとした指導を受けていたら、プロの門を開けていたかもしれません」
ほかの興南メンバーたちも銘苅の素質を認め、異口同音に「野手で一番プロに近かったのは銘苅」と断言する。
8カ月間指導してきた照屋監督は、銘苅について次のように語る。
「まずタイミングの取り方が秀逸です。どんな投手に対しても自分の打撃を崩されることがなく対応できるのは、教えてもできるものではありません。ボールを捉える能力はイチロー並みじゃないですかね。
あとは長打力。飛ばすだけの打者はたくさんいます。アウトコースであれば流して、インコースなら引っ張る。しかし銘苅の場合は、アウトコースを引っ張って長打にしたり、インコースを流して長打にできるんです。コースに関係なく、自分のタイミングさえ合えば長打にできる能力は、ソフトバンクの柳田(悠岐)のようですね」
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