巨人三軍戦で圧巻の投球。
JR東日本の剛腕はプロ入りへギアアップ
彗星のごとく現れ、その後、突如消えた本格派右腕が再び表舞台へと戻ってきた。JR東日本の石井聖太(しょうた)は、特別な思いを持って9月23日から始まる都市対抗予選に臨む。
最速149キロを誇るJR東日本の石井聖太 千葉県市川市に生まれの石井は、市川リトルで野球を始め、中学時代は強豪・江戸川中央リトルシニアでプレー。ベンチ入りギリギリの6番手投手だったが、中央学院高校(千葉)に進学し、市船橋、大体大、シダックスで投手としてプレーした相馬幸樹監督に見出され花が開く。
1年夏からベンチ入りを果たすと「1年の時は楽しくのびのびと、2年で考え方を教えてもらい、3年になると任された。いま思えばうまくコントロールされていました」と笑うように、相馬監督のもと着実に力をつけた。
甲子園出場は果たせなかったが、3年夏は激戦区・千葉でチームを8強まで導いた。
高校で自信をつかんだ石井は、中央学院大に進学。そして2年春に鮮烈な全国デビューを果たす。
リーグ戦(千葉県大学野球連盟)で防御率0.96と好投し優勝に貢献すると、全日本大学野球選手権では1回戦の第一工業大で先発。8回一死まで走者をひとりも出さず、結局、2安打14奪三振の完封勝利。
わかっていても打てない伸びのある最速147キロのストレート(当時)に、フォーク、カーブ、スライダーの変化球も冴え、一躍、大学球界の注目選手となった。
だが、その栄光も一瞬だった。準々決勝の東海大北海道戦で右肘内側側副靭帯を損傷し、1イニングで降板。チームは過去最高の全国準優勝まで上り詰めたが、その後、石井は長いリハビリを強いられることになる。
その期間、とくに同部屋の先輩左腕である田邉樹大(現・七十七銀行)が「いいきっかけになるはずだから負けるな」と励ましてくれた。菅原悦郎監督も焦らぬように温かい声をかけてくれた。そんな支えもあって乗り越えることができた。
ただ、公式戦復帰となった4年春のリーグ戦では試合勘を取り戻せず、恐怖心からヒジをかばってしまい不調。プロ入りは果たせず、社会人野球屈指の強豪であるJR東日本に入社した。
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