「岡本和真に負けた」。そして元U 18日本代表の野球エリートは起業を目指した (3ページ目)

  • 沢井史●文 text by Sawai Fumi
  • photo by Sawai Fumi

U18日本代表としてアジア選手権にした安田孝之氏(写真左)。右は岸潤一郎U18日本代表としてアジア選手権にした安田孝之氏(写真左)。右は岸潤一郎 ただ、そのなかで安田は自身の限界も感じていた。

「練習試合では明石商の松本(=航/現・西武)や済美の安樂(=智大/現・楽天)から長打を打てたし、センバツでは佐野日大の田嶋(=大樹/現・オリックス)から2安打できたので、努力すれば追い越すまではいかなくても、対等のレベルまでにはなれるって実感したんです。

 でもジャパンで岡本を見た時に、『これは努力とかの次元じゃない』と思いました。自分はやってきたことにプライドを持っていましたし、負けたくない一心でやってきましたけど、岡本のバッティングを見たら『負けた』って」

 大学は地元の大阪学院大に進んだのだが、日本代表の選手が関東圏の大学に進まなかったことに対し、インターネットで「逃げた」と書き込まれたりした。だが、安田には大阪の大学に進んだのには理由があった。

「小学校の時から日本一を狙えるチームでプレーしてきたのですが、そこでトップレベルの選手になったとは思えませんでした。関西の大学は関東に比べれば少しレベルは落ちるかもしれませんが、そこで目立つようになれば世界が変わるかなと思ったんです」

 大阪学院大では1年春からベンチ入りし、ショートのレギュラーをつかんだ。そして3年秋、大きな転機が訪れる。春のリーグ戦で主将だった4年生が就職活動のため"卒業"した。通常なら、秋のリーグ戦は残っている4年生が主将になるのだが、安田は主将就任を直訴した。監督は反対したが、チームで多数決を取り、先輩の理解もあって3年生の安田が主将を務めることになった。

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