「私立校甲子園未出場地区」徳島県。
生光学園は歴史を変えられるか (3ページ目)
写真左から橋本陽平副部長、幸島博之監督、河野雅矢部長(前監督) その期待通り、多くの選手が下級生時代からレギュラーに食い込み、高校でも実力を遺憾なく発揮。最高学年になった2017年秋は県大会準優勝で四国大会に出場するなど、「100回目の夏」に向けて、自信を深めていった。
満を持して迎えた夏は、初戦から準々決勝までの3試合をすべてコールド勝ち。準決勝では前年代表校の鳴門渦潮を11-5で退け、3度目となる夏の決勝進出を決めた。順調な勝ち上がりだったが、決勝前夜にあるアクシデントがあった。主砲の湯浅が準決勝で足を攣り、試合後病院に直行したのだ。
病院で点滴を打ち、回復を待ったが、状況によっては決勝の試合出場にドクターストップがかかる可能性もあった。
予断を許さない状況ではあったが、本人の「何が何でも試合に出る」という願いも通じ、医者からもGOサインが出た。決勝も「4番・レフト」で出場し、3点を追う4回に追撃のタイムリーを左中間に放った。
しかし、湯浅のタイムリーのあとは、相手投手にかわされ無得点。3度目の挑戦、逆境を跳ねのけた主砲の存在をもってしても、勝利の女神は微笑まなかった。
さらに、決勝で戦った鳴門の主将は、生光学園ヤングのレギュラーだった選手。中学時代ともに汗を流した選手たちの明暗が、決勝の舞台ではっきりと分かれる形となった。
決勝後の心境を、当時は部長を務め、今年4月から監督に就任した幸島博之(こうしま・ひろし)が振り返る。
「甲子園に行けると本気で思っていたし、行かないといけない世代とも感じていました。この代が勝負だと伝えていましたし、『鳴門を倒して甲子園に行くぞ』ともスタッフから繰り返し言葉にしていました。実際に決勝の相手が鳴門。決勝前の選手たちにいつもと変わった様子もなく、『これなら』と思っていました。決勝が終わったあとも、しばらくは終わったと思えない、信じられない気持ちでいっぱいでした」
100回大会の記念すべき夏、中高一貫の6年計画で育て上げた選手たちで高校野球の歴史を塗り替える。入念に準備を進め、目標まであと一歩のところまで迫っただけに、敗退後の喪失感は想像を絶するものだった。
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