投手転向2年で最速147キロ。知徳の大型右腕は「姿即心」精神で甲子園を目指す
待ち合わせに指定された時間に学校へ向かうと、校門に大柄な青年が立っていた。それがこの日の取材対象である栗田和斗だった。捕手から投手に転向し、2年足らずで最速147キロをマークしたプロ注目の大型右腕だ。
「栗田はさり気ない気遣いが自然にできる子なんです」
知徳高校の初鹿文彦監督は笑顔で話す。
投手転向わずか2年でプロも注目する投手に成長した知徳のエース・栗田和斗 父・勇(現総監督)の後任として現職に就いて6年。駒沢大学時代に太田誠監督(当時)から教わった「姿即心(すがたすなわちこころ)」の精神を選手たち伝えてきた。
それを「これだけ魅力があって素質のある子は、就任以来初めてです」と評すエースが実践しているのだから、指揮官の頬が緩んでも当然だ。また初鹿監督が「栗田のところには後輩が『教えてください』と尋ねにいくのをよく見かけます」と言うように、後輩からの信頼も厚い。
ブルペンで投球が始まった。校門で会った時よりもキリッとした表情になり、徐々にペースを上げていく。恵まれた体格から投じられるボールは、怖さを感じるほどの迫力があり、好素材であるのはすぐにわかった。まだ粗削りな部分はあるが、それゆえに伸びしろを期待したくなる逸材だ。
知徳高校は静岡県三島市にあり、旧校名は三島高校。その時代から、山梨の日本航空高校を初の甲子園へと導き、八木智哉(現・中日スカウト)らを育てた初鹿勇監督が指揮を執り、強化を進めてきた。投手育成に定評があり、監督を息子に託した現在も投手を指導している。そんな環境のなかで、捕手から投手に転向した栗田もメキメキと力をつけてきた。
栗田は小学4年から捕手を務め、岳陽(がくよう)中学時代に富士市の選抜チームに選出された。その際、指導にあたっていた駒沢大OBの鈴木裕和が「投げ方がいいから、投手をやってみたら?」と提案。その後、紹介を受けて知徳へ入学すると、高校1年の秋から本格的に投手の練習に取り組むこととなった。
1 / 2