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甲子園劇的ミラクル弾の男が監督に。
佐賀北スタイルで再び奇跡に挑む (2ページ目)

  • 加来慶祐●文 text by Kaku Keisuke
  • photo by Kaku Keisuke

 新人監督として試行錯誤を繰り返していくなかで、副島のチームは数々の奇跡を起こした2007年の佐賀北のスタイルに近づいては遠ざかり、遠ざかっては近づいている印象を受ける。監督として初めて公式戦の指揮を執った今年の春以降、とくにその色合いが濃くなってきたのではないかと感じる。

 春季大会では初戦で致遠館に7対5で勝利し、2回戦で佐賀工に4対6と競り負けた。公式戦初勝利を挙げたが、監督として采配することの難しさも痛感した。

 とくに初戦の8回。同点で迎えた一死一、三塁の場面で、打席には4番の池田光が入った。ここで副島は迷うことなくスクイズのサインを送った。池田は犠打の成功率が高く、練習試合でもバントの失敗がほとんどない。しかも、もともと4番にはエースの本村光希が入っているが、この試合は故障で離脱のため池田が"代行"として4番に入っていた。

 ただ、バントがうまいとはいえ、チーム一の勝負強さとバンチ力を秘めた池田にもプライドがある。迷いを抱えたままサインに従ったが、空振りしてスクイズは失敗に終わった。チームはここから粘りを発揮して2点を奪い試合に勝利したが、副島の胸中は複雑だった。試合を観戦していた恩師である佐賀北の前監督・百崎敏克は試合後、こう副島に語りかけた。

「まずは勝ててよかった。あそこのスクイズは難しかったよな。勉強になったやんか」

 スクイズを外された瞬間、副島の脳裏に浮かんだのは、2007年夏の甲子園準々決勝の帝京戦だった。

 3対3で迎えた9回裏、佐賀北は一死満塁のチャンスで4番の市丸大介が打席に入った。ここで百崎は2球目にスクイズのサインを送ったが、市丸は空振り。結局、サヨナラの好機を逃し、試合は延長戦に突入した。

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