2019.02.12

根鈴雄次が挑むフライボール革命。
「ヒットの延長が本塁打」にNO

  • 広尾晃●文・写真 text&photo by Hiroo Koh

 日本出身のメジャーリーガーは1964年の村上雅則(南海)から始まって59人いる。このうち34人が投手。野手は2018年二刀流でメジャーに挑戦した大谷翔平も加えて16人だ。彼らは全員、NPBからポスティングやFAなどで移籍している。マイナーから這い上がった選手はひとりもいない。

 挑戦しなかったわけではない。筆者が調べた限りで19人の日本人野手が挑戦しているが、誰もメジャーの高い壁を乗り越えることはできなかった。

 マイナー最高位のAAA(トリプルA)まで昇ったのもわずか3人。このうち2人(坂本充、角一晃=元巨人角盈男の長男)は1試合に出ただけ。メジャーの壁に辛うじて指がかかったのは、根鈴雄次(ねれい・ゆうじ)だけだ。

横浜市内で「根鈴道場」を主宰し、選手の指導を行なっている根鈴雄次氏 根鈴は1973年8月、東京生まれの、いわゆるイチロー世代だ。法政大学野球部では、代打の切り札として活躍。

 卒業後、モントリオール・エスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)とマイナー契約。Aクラスから初めて、あれよあれよという間にAAAに昇った。チームメイトには、ゴールデングラブを獲った名手のオーランド・カブレラがいた。根鈴はのちにオリックス、日本ハム、楽天などで活躍したフェルナンド・セギノールと主軸を組んだ。

 ときは2000年。イチロー、新庄剛志がMLBに挑戦する前年、このままメジャーに駆け上がっていたら、「日本人メジャー野手第1号」になったかもしれない。事実その可能性もあったのだが、惜しくもかなわなかった。

「法政大の1学年下のG.G.佐藤(のち西武、ロッテ)が、翌年、メジャーに挑戦した。『根鈴さんがAAAまで行けたのなら俺だって……』と思ったんじゃないかな」

 根鈴は笑う。結局、G.G.佐藤はAクラス留まりだった。

 根鈴はなおもメジャーに挑戦するために米独立リーグやメキシカン・リーグで5年間プレーする。しかし昇格はかなわず帰国し、独立リーグのBCリーグや四国アイランドリーグplusなどでプレー。30歳を過ぎていたからコーチも兼任したが、監督にはなれなかった。独立リーグの内規で、監督になれるのは「NPB経験者に限る」となっていたからだ。