2019.01.22

米子東23年ぶり甲子園へ。
情熱の指揮官が描いた古豪復活ストーリー

  • 井上幸太●文・写真 text & photo by Inoue Kota

「今の時代、力を入れている私立も多いですから。昔のように勝つのは難しいですよね」

 2014年春、毎年恒例の後援会の総会。会の冒頭で野球部後援会長が挨拶を述べたが、その声からは”諦め”すらも感じられた__。

 鳥取県立米子東高等学校。昭和30年代、そして昭和後期から平成初頭にかけて度々甲子園に出場し、”山陰の雄”と呼ばれていた公立校だ。「米東(べいとう)」の愛称で親しまれる同校は、県有数の進学校でありながら、春夏合わせて21回の甲子園出場を誇る。

 1960年春のセンバツでは、県勢の最高成績である準優勝を達成。夏の地方大会は、1915年の第1回大会から現在に至るまで、一度たりとも欠かすことなく出場している”皆勤校”でもある。

甲子園の決勝に行った時が本当の復活と語る米子東・紙本監督 そのプレースタイルは、試合中に見せる洗練されたマナーを含めて「実力と品位の野球」として多くの人々の心を掴んだ。同校OBで、現在チームを率いる紙本庸由(かみもと・のぶゆき)も、同校の野球に魅了されたひとりだ。

「米子東のすぐ近くにある小学校に通っていたこともあって、幼少期からよく練習を見ていました。当時は、ちょうど”第2次黄金期”と呼べるほど力のあった時代。憧れの存在で、『絶対に自分もここで高校野球をやるんだ!』と決意したことを覚えています」

 高校野球では唯一無二と言ってもいい”わかくさ色”の胸文字が、純白の生地に縫い込まれた伝統のデザイン。憧れのユニフォームに袖を通すだけでなく、いつしか「米子東で監督をする」ことが人生の目標になっていた。

「中学時代から『オレは将来、東高で監督をする!』と周囲に言っていたみたいで。旧友と再会したときに、母校で監督をしていることを話すと、『夢が叶ったんだね! 昔から言ってたもんねえ!』と必ず言われるんです。正直、僕自身はまったく記憶にないんですが(苦笑)。でも、それぐらい自分を惹きつける存在だったんです」

 同じく地方大会皆勤の鳥取西ともに、鳥取の高校野球界をリードする存在だったが、時代の移り変わりとともに、冬の時代へと差し掛かっていく。体育系の学科を持つ公立校、選手獲得や練習環境の整備に力を注ぐ私立校の台頭もあり、1996年春のセンバツを最後に甲子園から遠ざかっていた。