藤浪晋太郎が苦笑する6年前。
大阪桐蔭はドラマがないほど強かった (3ページ目)
―― 春と夏で感じ方が違っていたのはなぜだったんですか。
「春のセンバツのときは、その前までずっといいところで勝ててなくて、『藤浪は大事なところで勝てない』とよく言われている中での優勝でした。冬の間、苦しい思いをして、自分にとっては初めての全国大会に出て、勝てた。大事なところで勝てないわけじゃないということを証明できた優勝でしたから、やってやったぞ、という気持ちが強かったんです。
でも、夏は追われる立場になって、インタビューをたくさん受けたり、練習試合なのにマスコミの方が取材に来られたり......自然と周りの期待のようなものを感じるようになると、そういうプレッシャーも感じるようになります。そんな中で、淡々と、自分たちの力を出せば勝てるという自信を持って、普通にできた。その結果の優勝でしたから、安堵する気持ちが強かったんだと思います」
―― 藤浪投手が甲子園に出たいと思い描いたのはいつ頃だったんですか。
「それは子どもの頃からずっとイメージしていました。高校を選ぶときも甲子園に出られる学校がいいと思ってましたし......ダルビッシュ(有)さんの東北とか、PL学園の試合も甲子園まで観に行ってるんですけど、一番、印象に残っているのは小学5年生のときに観た大阪桐蔭の試合でした。平田(良介)さん、辻内(崇伸)さん、謝敷(正吾)さん、中田(翔)さん......あのときの大阪桐蔭に影響を受けて、自分もそこに行きたいと思うようになりました」
―― 子どもの頃に行った甲子園、思い浮かぶのはどういう景色ですか。
「やっぱり外野スタンドですね......球場に入ったら、階段を駆け上がって、暗いところからパッと視界が開けて明るくなる。その瞬間、緑の芝が目の前に広がって、応援団の演奏が両サイドから聞こえてきて、空が青くて......それが自分の中の甲子園です。懐かしいですね、今は外野スタンドに行くことなんてありませんからね」
―― 高校時代の甲子園と言われたら、また違う景色が思い浮かびますか。
「大阪桐蔭の選手としてフィールドに立ったときは、マウンドからの景色じゃなくて、ベンチから見てるイメージのほうが強いですね。なぜですかね。一塁側のベンチから味方の攻撃を見てる感じです。向こうにエンジと黄色の光星学院のアルプススタンドが見えて......夏の決勝が一塁側のベンチだったからなのかな」
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