武井壮の恩師が高校野球に復帰。12年の沈黙から3か月で古豪復活へ

  • 菊地高弘●文・写真 text&photo by Kikuchi Takahiro

「監督」は三塁側ベンチの奥に腰掛け、じっと戦況を見守っていた。事情を知らない者が見たら、その手前でベンチから身を乗り出し、選手に向かってブロックサインを送る若い指導者を監督と勘違いしたかもしれない。

 若い指導者はコーチの鈴木了平だった。「監督」から全権委任され、試合中の指揮を執っている。「監督」は采配を鈴木コーチに任せ、時にはベンチ奥で選手と話し込み、時に好プレーをした選手に笑顔で拍手を送った。板橋高校を相手に10対0の6回コールド勝ち。会心の勝利を飾った「監督」は、神宮第二球場のダッグアウト裏に笑顔で現れた。

「生徒たちはみんな一生懸命にやる子ばかりです。大会前からみんな調子がいいわけではありませんでしたが、自主練習から懸命に取り組んでいました。みんな真面目なので、ついつい私も付き合ってしまうんです」

「監督」は今春4月1日付けで堀越高校(東東京)にやってきたばかりの新監督である。名前を小田川雅彦という。

修徳高の監督時代、2度の甲子園を経験している小田川監督(写真左から2人目)修徳高の監督時代、2度の甲子園を経験している小田川監督(写真左から2人目) この名前にピンときた読者は10年以上前からの高校野球ファンか、中学軟式野球に詳しいマニアだろう。

 小田川監督は修徳学園中(現・修徳中)を全国屈指の強豪に育て上げた指導者として知られる。16年間で全国中学校軟式野球大会(全中)に2度出場。タレントの武井壮も修徳学園中時代の教え子のひとりだ。野球へのあくなき探求心に加え、周囲の人間の心をつかんで離さない巧みな話術。カリスマ的な指導と実績を買われ、2001年秋に修徳高校(東東京)の監督に就任した。

 2004年夏、2005年春と齊藤勝(元日本ハム)を擁して2季連続甲子園出場。2004年夏は全国ベスト8に進出した。好選手も続々と修徳の門を叩くようになり、まさに順風満帆に見えた。だが、好事魔多し。2005年9月に最悪の出来事が起きる。

 野球部員の集団万引き事件──。この事件によって、修徳は日本高野連から1年間の対外試合禁止という重い処分を受ける。選手が犯した過ちとはいえ、小田川監督は「選手たちにそんな行動に走らせてしまった」と自分を責めた。後に反省の態度が認められ、出場停止期間が短縮。夏の東東京大会への出場は認められた。4回戦で岩倉に2対3で敗戦した区切りをもって、小田川監督は監督を辞任。そして、表舞台から姿を消したのだった。

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