歌って踊れるプロ野球選手に。ミュージカル俳優が独立リーグで初舞台 (2ページ目)

  • 井上幸太●文・写真 photo by Inoue Kota

 中学進学後も自然な流れで野球部へ。しかし、ここでの"事件"が和田と野球を切り離す要因となる。

「監督は、いつも『全国大会出場! 日本一!』といった壮大な目標を掲げていました。でも、自分たちの中学は、市内の大会でも優勝できていない。市内大会優勝、それから愛知県大会優勝......といった風に、現実味のある目標を段階的に立てた方がいいと僕は思っていたんです」

 目標を細分化することを進言したが、監督は聞き入れず。「中学時代は監督と口論してばかりでした」と和田が振り返るように、最後までお互いが歩み寄ることはなかった。そうして、試合にも出ることができない日々が続き、次第に野球から気持ちが離れていった。

 高校進学後は、クラスメートからの勧誘がきっかけとなり、吹奏楽部に入部。ホルンを担当し、音楽を楽しんだ。この頃には「高校卒業後にミュージカル俳優になる」という目標も固まり、学校生活の合間には独学で発声練習にも打ち込んでいった。

「自分のなかで『高校3年時の劇団四季のオーディションに合格する』という目標を立てました。周囲からは『大学に行ったほうがいい』と言われることもありましたけど、自分の気持ちが揺らぐことはありませんでした」

 強い決意をもって重ねた努力が実り、倍率数十倍とも言われる難関を突破し、合格を勝ち取った。2013年から劇団四季の一員となり、2015年5月からはフリーの俳優として舞台のプロデュースや演技指導も手掛けていった。

 こうして、「ミュージカル俳優になる」という幼少期からの夢を叶えた和田だったが、野球との関わりは完全になくなったわけではなく、友人と草野球をしたり、プロ野球中継をテレビ観戦することもあった。しかしながら、そんな時間を過ごすなかで、楽しいはずの野球を心の底から楽しめていない自分がいることに気づいた。

「野球を99%愛していても、1%のモヤモヤが顔を出すんです。モヤモヤの正体は、野球から"逃げた"自分。野球に触れるたびに思い出すかつての自分にもう一度、真剣に向き合おうと思いました」

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