イップス地獄から世界へ。元高校球児がライフセービングで見つけた道 (3ページ目)

  • 高橋博之●文 text by Takahashi Hiroyuki

 10年弱で世界に手が届くところまできた和田だが、ライフセービングに出会うまで、スポーツで得たものは悔しさや情けなさばかりだった。小中学生時代は野球をしていて地元では有名な選手だった。高校は甲子園出場経験もある東京の日大鶴ヶ丘へ進学。校内のスポーツテストで先輩を抜いてトップの点数をとるほど身体能力は優れていたが、野球では3年間で一度もベンチに入れなかった。実は和田はイップスだったのだ。

「とにかく投げることができなくなりました。セカンドを守り、守備範囲もチームで一番広い。抜けそうな打球にも追いつけます。でもそこから投げられない。正確に投げなければならないという思いが強すぎて、体が硬直してしまうんです。いつか治ると思っていましたが、ついには内野のボール回しのときですら投げられなくなりました。それでも運動神経には自信があったので未練があった。3年間続けましたが、結局、最後まで治りませんでした」

 大学へ進学して他の競技にいくつか挑戦したが、どれも自分とフィットする感じがなく不安がつきまとった。結局どのスポーツも続けられなかった。自分はもっとできるはずだという思いが澱(おり)のように溜まり続けた。そのようなときにビーチフラッグスに出会った。

「武藤くんという友人が『和田ちゃん、ビーチフラッグスはどう? 絶対に向いているよ』と教えてくれました。彼は僕がイップスでずっと悩んでいることを知っていて、そんな彼がやっていたのがライフセービングでした。誘われるままに始めましたが、特にビーチフラッグスはシンプルな競技で無心でやれました。それがよかった」

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