秩父の山奥にアマ野球の巨匠が来た。「歌舞伎打線」の連打で狙う甲子園

  • 高木遊●文・写真 text&photo by Takagi Yu

 東京の池袋駅から特急で1時間半弱の西武秩父駅。そこから、さらに車を走らせること30分弱。秩父の山々に囲まれた盆地に、人口1万2000人弱の小さな町・埼玉県小鹿野町(おがのまち)はある。

 そんな田舎の原風景が色濃い町にある唯一の高校である小鹿野高校は、数年前、少子化の影響により廃校の危機にあった。人口が減り続ける小鹿野町の町おこしとして白羽の矢が立ったのが高校野球であり、その一環として石山建一氏(74歳/以下、敬称略)が招聘された。

(写真後列左2人目から)加藤周慈監督、石山建一氏、新國直樹部長と「小鹿野歌舞伎打線」を担う主力選手たち(写真後列左2人目から)加藤周慈監督、石山建一氏、新國直樹部長と「小鹿野歌舞伎打線」を担う主力選手たち 現役時代は静岡高と早稲田大で全国準優勝を飾り、日本石油(現JX-ENEOS)では日本一。指導者としては早稲田大とプリンスホテル(2000年に廃部)でも日本一。1995年からは読売巨人軍の長嶋茂雄監督(現・終身名誉監督)に請われてフロント入りし、編成部長などを歴任した名伯楽だ。

 自治体からの熱心なアプローチにより、石山は2012年から外部コーチとして小鹿野高校硬式野球部の指導に携わることになった。2009年に夏の甲子園で準優勝を果たした日本文理(新潟)など、これまで様々なチームにアドバイザー的な立場で指導を行なってきたが、そのなかでも赴任当時の小鹿野は最弱と言っていい状態だった。

「僕が来た時は部員が5人しかいなくて、外野も草がボーボーでボールがなくなっちゃう。まずはグラウンドの開墾やボール集めから始めましたよ(笑)」

 そう苦笑いで振り返る。だがそこから、石山を中心とした的確な指導と環境整備で、チームは右肩上がりの成長を続けている。指導の基本は「野球を嫌いにさせないこと」だ。

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