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西のライバル、履正社・安田尚憲が語る
「センバツと清宮幸太郎」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 まず、野球に目覚めたきっかけが甲子園だった。2004年の夏、5歳になったばかりの安田はアルプススタンドから声援を送っていた。

「たぶん、PLの帽子をかぶせてもらって、人文字とか作っているあたりで見ていました。選手たちの応援歌とかも一緒に歌ったりしていたことは、ぼんやりですけど覚えています」

 その夏、PL学園は大阪代表として甲子園に出場しており、安田の12歳上の兄・亮太も2年生ながらベンチ入りしていた。今も兄は社会人野球の三菱重工名古屋で主将を務めるなど、安田にとって野球人としての大先輩だ。

 その兄のいるPLに声援を送るなかで安田が目を奪われたのが、"桑田二世"と騒がれていた当時1年生の前田健太(現・ドジャース)だった。のちに小学生、中学生のチームでエースを務めることになる安田にとって、前田は長く憧れの存在だった。

 翌年、兄が前田とバッテリーを組んだ夏、安田が野球にのめり込む決定的な試合があった。大阪大会の準々決勝でPL学園が大阪桐蔭に逆転で敗れた試合だ。

「万博球場で見ていました。PLが中盤までリードしていたのに、前田さんが辻内(崇伸/元巨人)投手から右ヒジにデッドボールを受けて、そのあと平田(良介/中日)さんに逆転ホームラン。悔しくて......。でも、最後に前田さんが意地のホームランを打ったんです。試合は負けましたけど、それがめちゃくちゃカッコよくて。『野球ってすごいな』『カッコいいな』って、それから野球にはまりました」

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