「ヒグマの親分」に導かれた甲子園。クラーク国際が踏み出した一歩

  • 田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 札幌円山球場のベンチから大声が聞こえたら、"その人"だと思って間違いない。選手よりも大きな声は、緑に囲まれた球場内にひときわ響く。

 大声が聞こえるベンチに目を向けると、その声の主があっちへ行ったり、こっちへ行ったり。右へ左へウロウロしては、また、大声で吠える。そんなことを繰り返しているうちに、いつしか地元の記者がその人のことを「ヒグマみたいだ」と言うようになった。

 ついたあだ名は、"ヒグマの親分"。その監督が率いる強力打線は"ヒグマ打線"といわれるようになった。

聖光学院に逆転負けを喫し、甲子園初勝利を逃したクラーク国際ナイン聖光学院に逆転負けを喫し、甲子園初勝利を逃したクラーク国際ナイン  その人とは、駒大岩見沢の佐々木啓司監督。監督として、春夏通算11回の甲子園出場。1993年のセンバツではベスト4進出を果たしている。甲子園通算7勝は、北海道内の現役監督では最多だ。言いたいことを言う性格。勝利への執念が強いあまり、ときには審判の判定にまで吠えてしまうことも......。その強烈な個性こそ、親分の名にふさわしかった。

 その人が、8年ぶりに甲子園に帰ってきた。駒大岩見沢が廃校になったのが2014年3月。4月から野球部が新設されたクラーク記念国際に移ってたった2年3カ月で、慣れ親しんだ聖地にたどりついたのだ。

 クラーク記念国際といえば、夏の甲子園は初めての出場となる通信制の学校として話題だ。野球部員のカリキュラムは週5日、毎日4コマの授業を受ける全日型だが、実態が明らかではないために、「野球ばっかりやっているのだろう」「選手を集めているのだろう」などいろいろな推測が飛ぶ。甲子園出場が決定した際には、「一番出してはいけないチームを勝たせてしまった」と言った道内の指導者もいたほどだ。だが、ここまでの道のりは順風満帆ではなかった。

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