横浜高の名将・渡辺監督が最後の夏に語った「悔恨の思い」

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 7月28日、全国高校野球選手権神奈川大会決勝戦。最大のライバルである東海大相模に敗れた瞬間、この夏限りで勇退する横浜高校・渡辺元智監督に去来したのは、指導者人生をスタートした48年前の日々だった。

最後の夏はノーシードながら決勝までチームを導いた横浜高・渡辺監督最後の夏はノーシードながら決勝までチームを導いた横浜高・渡辺監督

「昭和の怪物・江川卓(作新学院/現・野球解説者)がいて、打倒・江川に明け暮れました。その後は同じ神奈川の原貢さん(元・東海大相模監督)に追いつけ、追い越せでやってきた。高校野球というのは、強いチームを倒すための練習にこそ意味があり、私は目標に向かっていくことの大切さを教えてきました。今年は1年間、打倒・東海大相模に明け暮れた。相模の小笠原(慎之介)くん、吉田(凌)くんは大学生、あるいはプロに近い完成されたピッチャー。スコアは0−9でしたが、少しは抵抗できたのかなと思います」

 淡々と悔いなき監督人生を振り返り、教え子たちへの感謝の気持ちを言葉にした渡辺監督だったが、会見の途中、敵将の門馬敬治監督が挨拶に訪れ、力強く握手を交わした時だけは目を赤らめた。99年に29歳の若さで名門東海大相模の監督となり、同じ神奈川の雄として甲子園制覇を目指してきた彼に、かつての自身を重ねたのかもしれない。

「彼は私を慕ってくれてね、たびたびメールをくれたりしていました。先ほど、選手が私を胴上げしようとしてくれた時、私は『(優勝した)門馬監督が先だろう』と言ったんです。彼は私に対して配慮してくれたのか、胴上げもせずにベンチへ引き上げた。勝負に対する執着心だけでなく、こういう心遣いを備えてきたというのは、すごい監督に成長しつつあるなと感じます。最後が東海大相模だったということで、特別な思いはあります」

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