思い出はPL学園戦。「ベストゲームではないけどな」 (2ページ目)
PLの策にいち早く気づいたのが小倉だった。戻ってきた小山に小倉はこう告げた。
「松坂とお前の関係は、野茂とピアザの関係と一緒だ。ピアザは野茂のフォークボールを捕球する際、腰を上げて構える癖がある。お前も同じじゃねえか」
小山に癖を修正するよう促すと、相手打線はやがて沈黙。横浜高校は4-5で迎えた9回表に同点に追いつき、試合は延長へ突入する。
「相手先頭の田中一徳(元横浜)には、二塁手を三遊間に置くシフトを用意してあったができなかった。ピンチにおける外野の前進守備も、もう少し思い切って前にしておけば失点を防げたと後悔することがあった。延長11回と16回に1点を奪って突き放そうとしたけれど同点にされた。決して"ベストゲーム"ではありません。勝ったから良かったものの、もし負けていたら思い出したくもない試合でしょう」
17回表に常磐良太の2ランが飛び出し、その2点を松坂が守りきった。250球を投げ抜いた松坂は試合後、精根尽き果てたように「明日(準決勝)は投げられません」と答えるだけ。投手の肩・ヒジへの負担を考慮した高野連が18回制を廃止し、15回制を採用する契機となった試合だった。
昨春の選抜で772球を投げた済美・安樂智大がそれ以降、右ヒジ痛に苦しみ、本来の球威を失っていることで、改めて高校球児の「登板過多」が問題視されている。また現ヤンキースの田中将大が6月に右ヒジ靱帯を部分断裂し、11年6月に右ヒジのトミー・ジョン手術を受けた松坂もまたこの6月に右ヒジ痛で戦列を離れたことで、米国では日本の高校野球の登板過多が田中や松坂の故障の遠因にあるのではないかと議論されている。小倉はいう。
「冬場は投げ込みができないため、選抜はどうしても投手の肩の負担は大きいでしょう。夏より故障の危険性は高い。もちろん、夏の甲子園での投げ過ぎが、後遺症として残る可能性は否定できません。ただし、松坂の故障に関しては、高校時代の投げ過ぎが原因とは思いません。アメリカに行って、投球フォームを崩し、右ヒジを下げて投げるようになってしまった。私は何度も指摘したけど、『こういう投げ方しかできなくなっちゃったんです』と......」
松坂は小倉の最高傑作である。数年前には、「あいつは一度も私や監督をアメリカに呼んでくれないんだ。星稜の山下(智茂)監督は、毎年のように松井の試合を観に行っていただろ?」とぼやいていた小倉は、この9月に初めてニューヨーク・メッツに在籍する松坂に会いに行くという。
「やっぱり一度は見ておきたいよね。ただし松坂には『エコノミーではいかねえぞ』と伝えています」
(つづく)
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