【自転車】TeamUKYOの「自立」を急ぐ片山右京の真意 (4ページ目)

  • 西村章●構成・文 text by Nishimura Akira  プロトンイメージスアジア●写真 photo by Peloton Images Asia

 TeamUKYOがプロコンチネンタルチームとして活動するためには、選手やスタッフを含め、チームの規模を今の数倍、数十倍の大きさにしていかなくてはならない。プロフェッショナルスポーツである以上、スポンサーからの支援は欠かせないが、さらに自分たちでも利益を生み出せる「自活力」をつけていくことも重要だと、片山は考えている。

「今は、数年後のこのチーム、この会社のあり方を考えなきゃいけない時期なんですよ。サイクルロードレースの文化がまだ根付いていない日本では、オリンピックが終わったらきっと潮が引くように注目度も下がるだろうし、公的な補助もガクンと減少することは想定しておかなければならない。競技活動を支えてくれる企業だって、人間の体調と同じように、業績にもバイオリズムがある。だからこそ、自分たちが『自立』することが重要なんです。そのためにも、たとえばジャージや自転車の販売を事業として充実させていきたいし、出資を募る企業には、『プロチームの支援は収益や利潤を見込めるビジネスである』と理解してもらえるだけの活動実績と、ビジョンを提示できなければならない。

 工場を建設するような設備投資とは違うけれども、強い選手を獲ることや、大きなレースに出られること、あるいはもっとスポンサーを獲得できるようになることは、すべて設備投資と同じなんだと理解してもらえるようになるには、ロードレース文化のない日本の環境でも、おそらくあと3年――。そのころには、説得力のあるレベルまでチームを成長させていることができるだろう、と考えているんですよ」

(次回に続く)

著者プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

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