ラグビー日本代表がオールブラックスと激突 過去の対戦で大野均が感じたすさまじいプライドと廣瀬俊朗を襲った疲労感とは (6ページ目)

  • PR 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

ラグビー日本代表は今でも憧れの存在

――引退して数年が経ち、それぞれのお立場で活動しています。今後、ラグビー界にどうコミットしていきたいですか。

大野 ラグビーに触れたことのない人たちや子どもたちに、ラグビーを広める活動ができたらいいですね。ラグビーの普及だけでなく、いろんなところに行って自分が経験してきたことを伝えることにより、ラグビーの魅力を感じてくれる方がいてくれたらいいなと思っています。

廣瀬 僕は日本代表も大事ですが、グラスルーツも大切にしないといけないと思っているので、そこのサポートを引き続きやっていこうと考えています。あとはキンちゃんとも一緒に行きましたが、ケニアでラグビーのアカデミーを立ち上げました。ほかにも大正製薬さんにサポートしていただいて、台湾にも行ってきました。再び日本で国際大会を開催するためには、アジアでのラグビー普及も大事になってくると思うので、今後も続けていきます。また「One Rugby」という団体を作り、15人制ラグビーだけでなく、車いすラグビー、デフラグビー、ブラインドラグビー、ビーチラグビーなどとともに、みんなで一緒になって盛り上げていこうという活動もしています。

――廣瀬さんは、2012年にラグビー日本代表のキャプテンになった時、「ファンに愛される存在になりたい」と発言して、そこから現在までいろんな活動をされてきましたが、ラグビー日本代表にはどんな存在であってほしいですか。

廣瀬 社会にインパクトを与えられるのが日本代表だと思っていて、僕らの時よりも今の日本代表はもっといいポジションにいると思います。現在の日本代表なりのメッセージも必要だなと思うので、彼らがどんなメッセージを発信してくれるのか楽しみです。

大野 自分が日本代表になる前は、すごく憧れの存在でした。そして日本代表になったら、できるだけ長くプレーしたいと思っていました。今でも憧れのチームで、日本代表の選手を目の前にすると、こちらがエネルギーをもらえるしすごくワクワクします。日本代表にはずっとそういう存在でいてほしいですね。

【Profile】
大野均(おおの・ひとし)
1978年5月6日生まれ、福島県出身。大学からラグビーを始め、卒業後に東芝入り。日本屈指のLOとして活躍し、トップリーグ歴代2位となる170試合出場。9度ベスト15に選出され、2009年にはトップリーグMVPにも輝いた。ラグビー日本代表歴代最多となる98キャップを誇る。

廣瀬俊朗(ひろせ・としあき)
1981年10月17日生まれ、大阪府出身。5歳からラグビーを始め、高校、大学、東芝でキャプテンを務める。東芝では2005-2007年にトップリーグ三連覇に貢献し、2008年にマイクロソフトカップMVPに輝く。ラグビー日本代表ではエディー・ジョーンズHCの下でキャプテンとなる。ラグビー日本代表28キャップ。

著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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