観戦ツアー以外にJTBがスポーツを支える知られざる業務とは。今後は「スポーツを通じた社会課題の解決」を目指す (2ページ目)

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東京大会の招致活動も支える

 そもそもJTBがスポーツに関わり始めた最初の記録は、1964年の東京オリンピックまでさかのぼる。入場券80万枚の販売代理店として活動し、2万人のスタッフを動員したという記録が残っている。その後、それぞれの部署でスポーツ団体との関りを持っていたり、大会チケットの販売などを行なったりしていたが、1992年にそれを「JTBスポーツデスク」として一元化。これが一つのターニングポイントとなった。

 1998年の長野冬季オリンピックにも関わり、スタッフがさまざまな経験と知見を得るとともに、「感動のそば」に身を置くことができた。それ以降もJTBはスポーツの団体や大会との関りを持ち続け、2010年に「JTBスポーツデスク」が事業部に昇格。2013年より久家氏がその責任者となった。

 2013年は東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まった年。そこでもJTBは招致メンバーのために、開催地を決める会場となったブエノスアイレスへの移動・宿泊等の手配や、現地での事務局やプレゼン練習会場の手配を行ない、招致ミッションを陰ながら支えていた。

 その後、JTBは東京2020大会のオフィシャルパートナーになるとともに、社内で「東京2020推進プロジェクト」を立ち上げた。そのプロジェクト長に、五輪への日本選手団派遣などスポーツの分野で数々の業務に携わってきた久家氏が、任命された。

「オリンピックは、スポーツ特有の用語や略語が出てきて、初めて経験するとわからないことが多いんですが、私の場合は、ある程度は理解できました。それも過去の経験があったからですね」

 東京オリンピック・パラリンピックでは、先に挙げたような業務のほかに、JTBとしてのアクティベーションもいくつか手掛けた。

「『復興五輪』という名のもとで、東北6県の様子を発信したり、現地のフルーツを使ったかき氷を楽しんだりしてもらうイベントを行ないました。さらに協賛企業と共に、現役の高校生にパラスポーツを体験できる機会も作りました」

 コロナ渦前に考えていた大々的なイベントはできなかったが、来場、体験した人たちに感動やスポーツの力を理解してもらうことができた。

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