元ロッテのエース・ジョニー黒木の娘・芽依が新たなステージへ 父との思い出の地で見つけた自分の道
黒木芽依インタビュー(前編)
真っ直ぐに前を見つめる大きな瞳は、「ジョニー」の愛称で知られる父によく似ている。かつてロッテで「魂のエース」として一時代を築いた黒木知宏さんの長女である黒木芽依が、今年から芸能活動をスタートさせた。
元ロッテのエース・黒木知宏氏の娘の芽依さん photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る
【子育てにも全力投球だった父】
昨年までロッテの公式チアパフォーマー「M☆Splash!!(エムスプラッシュ)」に「MEI(めい)」名義で所属。新たな活躍の舞台を求め、投手コーチを務める父の本拠地であるZOZOマリンスタジアム(以下マリンスタジアム)から巣立つ決断を下した。
「幼い頃からクラシックバレエやジャズダンスなど、いろいろとやっていたので、自分の中ではずっとダンスをやっていく人になりたいと思い、大学卒業後に『M☆Splash!!』で活動していました。そこで、マイクを持っておしゃべりさせていただく機会をいただき、そこから喋っている自分が好きかも、というところから、MCやリポーターといったお仕事にも興味を持ち始めたのが、芸能活動を始めたきっかけです」
1999年1月19日、ロッテでエースの地位を確立した黒木さんと、延岡学園(宮崎)で1学年上のソフトボール部だった裕子さんの長女としてこの世に生を受けた。
ただ、その前年の1998年は、黒木さんやロッテファンにとって忘れられないシーズンになった。7月7日、両リーグワーストタイの16連敗で迎えたオリックス戦で、黒木さんは9回二死から同点2ランを被弾。マウンド上にうずくまる姿は、「七夕の悲劇」として、長いプロ野球史の1ページに深く刻み込まれている。
連敗は18まで伸び、チームはシーズン最下位に沈んだ。しかし黒木さんは最多勝(13勝)と最高勝率(.591)のタイトルを獲得。翌1999年は第一子の誕生を励みに、キャリアハイの14勝を挙げている。芽依は、そんな父の背中を見ながら、すくすくと育っていった。
「小さい頃に写っている写真は大体が暴れん坊というか(笑)。本当にいつでもどこでも踊って、走って、転んでという幼少期でした」
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著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう