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飛込のレジェンドがメダルを狙った
五輪で惨敗しても納得できたわけ (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

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「世界選手権の前に参戦した上海の大会で、周りの若い選手たちが307C を簡単に決めているのが悔しくて、それが力になったのか、しっかり板先に踏み込んだら『行ける』という感覚をつかめたんです。それだけに、世界選手権で307Cをできなかったのは悔しかったですね。周りからは、『307Cでしっかり決めていればメダルは行けたんじゃないか?』と言われました。だから、五輪ではもうそんなことは言われたくない。もちろんメダルを獲りに行くけど、そのためにもしっかり戦って勝つ、というのが理想の形です」

 悔しさの反面、大きな手応えもあった。難易率3.4の5154B(前宙返り2回半2回捻りエビ型)と、3.5の5353B(前逆宙返り2回半1回半捻りエビ型)は、12名出場の決勝でほぼ全員が実施したなかで、寺内は共に2番目となる高得点を獲得していたのだ。馬淵コーチも「北京五輪のメダルの手応えをつかめた」と話していた。

 寺内自身も、「昔は世界を追いかけるだけだったけれども、01年の世界選手権で3位になってから戦うことを意識しました」と述べた。

「04年以降は海外で成績を出していなくて、ちょっとずつメダルが遠のいた感じもありました。でも、世界選手権でメダル争いに絡めたことで、(馬淵)崇英コーチも『これで戦える』と再確認できた。練習でやってきたことが正しかった、という思いは僕も同じだし、今の練習を続けていけば行ける、という意識もあります」

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