競泳女子五輪2大会連続メダル。
72年ぶりの快挙には伏線があった (2ページ目)
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平井がそう話すように、準決勝は59秒64、決勝は59秒72とタイムを落として、中村は6位に終わった。
「予選でベストが出たので、自信を持って行きました。最後の25mを過ぎてからが勝負だと言われていて、折り返してからも2位になったカースティ・コベントリー(ジンバブエ)とも並んでいたのですが、勝負と思った瞬間に焦ってしまい、自分の気持ちの弱さが出てしまいました」と、中村はレースを振り返った。
平井は、中村が「先生はちゃんと指示してくれたのに、私の気持ちの弱さでダメでした」と言うだろうと思っていた。翌日に声をかけると、案の定、「私の気持ちが弱くて......」と言ってきた。
「だから『そうじゃないよ』と言ったんです。準決勝では少しタイムが下がったけれども、(北島)康介のようなはっきりしたミスではなかったから、僕は大丈夫だと思った。『礼子が弱気になってしまったのは僕のミスだ。それが悔しくて、昨日は眠れなかったよ』、そう言うと、礼子がボロボロ泣き出したんです。それで、『もうこれで100mは終わり!』と気持ちを切り替えることができた、と言っていました」
そうして迎えた、200mでの連続銅メダルだったのである。
中村が「チーム平井」の門を叩いたのは、アテネ五輪の前年、03年秋のことだった。03年世界選手権には100mで出場したが、自分のメイン種目と考える200mでは代表になれなかった。「世界と戦うためには2分10秒を出さなくてはいけないと考えて練習していたけれども、試合前になると不安になりすぎて結果につながらなかった」と、悩みの多い日々を過ごしていた。
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