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松元克央が世界水泳で銀メダル。
急成長の要因はコーチとの二人三脚 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 二宮渉●写真 photo by Ninomiya Wataru

 鈴木コーチが褒めていたとおり、練習から逃げることなく、ひとつひとつの練習をこなしていった。その結果、翌年18年の日本選手権では、200m自由形で優勝すると、初出場のパンパシフィック選手権では3位、アジア大会も2位と一気に世界のレベルへ駆け上がった。

 昨シーズン終了後は、痛めた右肩の治療にしばらく専念したが、肩に負担がかからない泳ぎに修正した今年の日本選手権では、自己新(1分45秒63)で優勝。世界選手権の派遣標準記録も突破して、自力で個人の出場権を掴み取り、今季世界ランキング3位の記録を持って、この大会に臨んでいたのだ。

 今大会決勝は、準決勝よりも速いタイムで進み、勝負をかけたラスト50mでは残り25mあたりから伸びてきて、萩野の日本記録を0秒01上回る1分45秒23の3番手でゴール。

 しかし、すぐにトップでゴールしたダナス・ラプシス(リトアニア)がスタートで動いていたとして、フライングで失格が表示されると、繰り上がりで銀メダル獲得となった。

「満足の展開でした。ラスト50mが得意と言っても離されすぎていたら勝てないと思ったので、前半である程度貯金をして100から150mで落ち着いて、ラスト50mで勝負しようと考えていました。鈴木先生からも『ラスト50mは明日動けなくなるくらいに動かせ』と言われていて、そのとおりの泳ぎができた。タッチした時にスタート台に3位を示すランプがついていたので、その時点でも、すごくうれしかったんですが、そのあと2位に繰り上がったので、信じられないような気持ちでした」

 鈴木コーチからは、決勝で隣のコースを泳ぐラプシスに勝たなければメダルはないと言われていた。結局は先着されたが、彼を追い続けたことが幸いした。

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