【水泳】寺川綾が語るロンドン五輪への思い。「頂点を狙いたい」

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 山本雷太●写真(人物) photo by Yamamoto Raita

『リスタート・アスリート』Vol.2
3歳から始めた水泳。楽しく泳いでいたはずが、あるとき楽しさを求めるだけではやっていけないことに気がついた。17歳で彗星のごとく現れ、20歳でアテネ五輪出場を果たした寺川は、それと同時に「日本代表」を背負う重さも知った。若いころから注目されてきたからこそ今、多くの経験を積み、本当に自分とって大切なものが何かを見つけた。そして今年、ロンドンの地で大きく羽ばたこうとしている。

アテネ五輪出場決定で激変した環境「正直、水泳を辞めたかった」

 近畿大学附属高校2年だった2001年、世界選手権福岡大会に出場して以来、寺川綾は常に注目されるスイマー人生を送ってきた。だがその道のりは平坦ではなかった。

 アテネ五輪を翌年に控えた03年の秋、寺川は練習中に涙が止まらなくなり、プールに入れなくなった。自分が好きでやってきた水泳。「楽しい」と思う反面、日々大きくなっていく周囲の期待にズレを感じ、自分が何のために泳いでいるのかがわからなくなっていた。

 高校2年のときに初めて出場した、01年世界選手権の200m背泳ぎで8位になり、翌02年はパンパシフィック選手権200mで銀メダルを獲得。周囲の期待を一身に集めた。ところが、同年7月の世界選手権では、準決勝9位で決勝進出を逃した。

「一番の原因は何だったんでしょうかね。向上心がなくて『ただ勝てればいい。タイムはどうでもいい』という考え方を持っていたのもあるし、国内でも強い選手が何人もいたから、世界選手権で私がメダルを獲れるなんて思ってもいなかったんです」

 戦いの場に行っても、正直「何でやってるのかな?」という気持ちだった。他の選手のように「メダルが獲れなくて悔しい」という思いもなく、その時はかえって、メダルを獲りたいと思って、一生懸命努力をしてるのに代表になれなかった選手に対し、「申し訳ないという気持ちさえ持った」という。

  寺川は50mが一番好きだと話していた。わずか28秒弱で泳ぎきる種目であるがゆえに集中して、すべてミスなくきっちりとやらなければ絶対に記録は出ない。そんな緊張感に魅力を感じていたのだ。

  当時所属していたイトマンSSで親しかった、同い年で平泳ぎをやっていた川辺芙美子(かわなべ ふみこ)はこう言う。

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