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【箱根駅伝 名ランナー列伝】三代直樹(順天堂大) 花の2区で「渡辺康幸」超えを果たし、チームを10年ぶりの総合優勝へ (2ページ目)

  • 酒井政人●取材・文 text by Masato Sakai

【歴史に残る衝撃のラストスパート】

 そして1999年の正月、三代が異次元の走りを披露する。トップと22秒差の8位でタスキを受け取ると、3km付近で先頭に追いついた。5kmを14分21秒、10kmを28分50秒、15kmを43分40秒ほどで通過。トップを奪った三代は後続との差を広げていく。「権太坂の下りで脚を使ってしまうと、その後の平坦とラストの上りでペースが落ちてしまいます。脚を使わないまでもペースを上げることを意識しました」と20kmを57分51秒で通過した。

 早大・渡辺康幸が区間記録を樹立したときと比べて、20km通過は13秒ほど遅かった。しかし、「戸塚の壁」を迎えるラストの約3kmが衝撃だった。

「終盤は酸欠状態になってきたので、20kmのときに腕時計を見たんですけど、うまく理解できなかったんです。ただ保土ヶ谷のバイパスに入ると、沿道に人が増えてきて、『区間記録』とワードが耳に入ってきて、区間記録はあり得ないと思いながら、ラストスパートをしたのを覚えています。

 最後の箱根駅伝だったので、とにかく『出し尽くそう』という気持ちだけでした。死にもの狂いというのはこういうことなのかなというくらいの走りだったと思います。バタバタしたフォームでがむしゃらに走りました。区間新記録は信じられなかったですね」

 三代でダントツのトップに立った順大は4区で駒大・藤田敦史に大逆転を許すも、9区で高橋謙介が再逆転。絶対エースの爆走が前年5位、全日本8位からの急上昇Vにつながった。レース後、ほとんど褒められたことがなかったという澤木啓祐監督と「無言の握手」をかわしたのも、よき思い出になっている。

 三代は驚異的なラストスパートで、1時間06分46秒で2区を走破。渡辺が「だいぶ(後年まで)残るんじゃないかなと思っていた」という区間記録(1時間06分48秒)をわずか4年で塗り替えたことになる。一方、三代が打ち立てた記録は長く日本人エースたちのターゲットになった。2019年に順大の後輩である塩尻和也が1時間06分45秒をマークするまで、20年もの間、"日本人最高記録"として君臨したのだ。

「私は渡辺さんの記録を破ることができて素直にうれしかったです。ようやく国内の一線級と戦えるかなという自信になりましたから」

 そう語った三代は社会人2年目(2000年)の日本選手権10000mで27分台に突入。2001年のエドモントン世界陸上に10000mで出場した。なお三代の学生時代の10000m自己ベストは28分30秒87。日本インカレで優勝したときのタイムだった。

●Profile
みしろ・なおき/1977年3月16日生まれ、島根県出身。松江商業高(島根)―順天堂大―富士通。箱根駅伝には1年時に1区、2年時からは2区に3年連続出場し、4年時には早大・渡辺康幸が保持していた区間記録を更新。以降20年、日本人選手最高記録として破られることはなかった(区間記録は2008年に山梨学院大のメクボ・ジョブ・モグスが更新)。トラックでも強さを発揮し、卒業後の2001年には世界陸上10000m日本代表に選出された。

【箱根駅伝成績】
1996年(1年)1区3位・1時間03分33秒
1997年(2年)2区8位・1時間13分23秒
1998年(3年)2区3位・1時間08分18秒
1999年(4年)2区1位・1時間06分46秒 *区間新

*区間新記録は当時

著者プロフィール

  • 酒井政人

    酒井政人 (さかい・まさと)

    1977年生まれ、愛知県出身。東農大1年時に出雲駅伝5区、箱根駅伝10区出場。大学卒業後からフリーランスのスポーツライターとして活動。現在は様々なメディアに執筆している。著書に『箱根駅伝は誰のものか』『ナイキシューズ革命 〝厚底〟が世界にかけた魔法』など。

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