【駅伝】始動1年目&少数体制でニューイヤー駅伝出場権を奪取 神野大地"監督"率いるMABPが見せた新しい景色 (2ページ目)
【なぜ短期間で結果を出せたのか】
沿道から選手に檄を飛ばす神野大地。今大会は監督業に専念 photo by Wada Satoshi
「堀尾の3区が終わった時点で、いけるなと思いました」
神野はこの時点で、アクシデントがないかぎり、予選通過をほぼ確信していたという。4区の木付、5区の栗原直央(23歳)、6区の鬼塚翔太(28歳)は、走りを計算できる選手。実際、この3人は、それぞれ区間10位、8位、8位と、他チームの選手に引けを取らない堂々たる走りを見せた。そして、最終7区。神野に「MABPで一番成長した」との評価を受けていた中川は区間9位、終始、安定した走りを見せた。
國學院大出身の中川は、今年1月の箱根駅伝で10区を走る予定だった。だが、大事なポイント練習で外すなど、前田康弘監督に十分なアピールができず、12月31日の朝にメンバー交代を告げられた。その悔しさを晴らすため、一般企業の内定を辞退し、覚悟を持ってMABPの門を叩いた選手だ。
2月の香川丸亀国際ハーフマラソンで自己ベストを出したあとは、帰省などで食べる量が増え、春のチーム始動時には体重が増えてしまった。だが、そこから補強と練習を積み重ね、夏までに4㎏落とした。
「春から練習と食事で徐々に体が絞れて、8月から10月までは、ほぼ毎週200kmから230kmを走っていました。そのせいか、大学時代とは比べものにならないぐらい、体ができあがりました。レース前、チームは(予選通過の)ボーダーライン上と言われていましたが、こうして結果が出たのは、全員がミスなく走れたのと、ほかのどのチームよりも、この日のために準備を重ねてきた成果だと思います」
レース後、國學院大の同期で、今回は同じ7区を走った平林清澄(ロジスティード)が握手を求めてきた。「平林は速かったですね(区間4位)。コース上ですれ違うたび、『これは自分が負けているな』と思いました」と言いながらも、大学時代のエースとまずは同じ土俵で戦えたことに満足げな表情を浮かべていた。
新チームのMABPが短期間で結果を出せたのは、なぜか。
日々の練習と、長い合宿を乗り越えた選手の努力と、スタッフの献身的なサポート、それらが噛み合ったのは間違いない。加えて、選手の力を引き出し、成長させるために"右にならえ"の画一的な練習ではなく、個別対応によって選手が伸び伸びと練習し、生活できる環境を整えたことが大きかった。
これは神野自身の経験によるものだろう。実業団時代の神野は自分がやりたいことができず、プロ選手になった。MABPのゼネラルマネージャーを務める髙木聖也とともに練習メニューを考え、自分の体と日々向き合った。食事をとる際には、栄養士に画像を送って栄養バランスを確認するなど、走るためにストイックな生活をしていた。そうした意識、環境こそが成長に欠かせないと考え、それがMABPでの指導のベースになった。
かつて実業団に所属し、MABP加入前まではプロランナーとして活動していた堀尾は、こう語る。
「実業団で活動していると、結果を出さなければ、個人の意見を通しにくいところがあるんです。でも、神野さんは、僕が"結果なし"の状態でも、『足が痛い。ちょっとおかしい』と言うと、話を聞いてくれたうえで、『今週はもう(練習の強度を)上げなくてもいいから』と、自分の要望というか、わがままを聞いてくれました。それが僕にとっては、本当にありがたいことでしたし、このチームの一番いいところだと思っています」
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