日本記録を19年保持した野口みずきから現役選手へのエール「命を燃やしてマラソンに打ち込んでほしい」 (3ページ目)
【高橋尚子に初めて伝えた「憧れていました」】
野口は気持ちの整理こそつけたが、それから1年半以上もケガが治らず、次へと進むことができなかった。陸上をやめようと思ったこともあり、廣瀬コーチと去就について言い合うこともあった。
「最終的にやめなかったのは、『おまえがやめるなら俺もコーチをやめる。おまえの最後を見届けるまで、俺はやめない』と言ってくれた廣瀬コーチをはじめ近くにいてくれる人が私を支えてくれているというのを感じたのと、応援してくれるファンの皆さんのメッセージが途切れることなく届いたからです。すごくありがたかったですし、そういう声がリハビリをして、再びマラソンの世界へ戻ろうという私のモチベーションになっていました」
応援の声や藤田監督、廣瀬コーチの支えにより、野口は2012年3月、ロンドン五輪の代表選考レースになった名古屋ウィメンズマラソンに出場。2007年の東京国際女子マラソン以来、4年4カ月のぶりのレースで6位入賞したが、オリンピック出場はかなわなかった。翌年の名古屋にも出場した野口は3位入賞し、同年8月の世界陸上モスクワ大会に出場した。しかし、本来の走りはできず、33kmで途中棄権になった。
「名古屋で復帰したのですが、脚が戻ってこなかったですね。右脚は五輪選手、左脚は普通の人の脚って言われたことがあったんですが、それだけケガの影響で筋力の差が出ていたんです。そのアンバランスのせいか、右脚に"抜け抜け病"が出てしまったんです」
抜け抜け病とは、正式な医学用語ではないが、長距離選手によく起こる症状で、脚に思うように力が入らなくなり、例えば真っすぐ前に脚を出したいのにうまくいかなくなったりする。
野口も練習をしていると、たびたび膝が抜けるような感覚に襲われて練習をこなすことができなくなった。練習ができないと戦えない。そんな思いも抱えながら、ラストチャンスとして位置付けたのが2016年3月、リオデジャネイロ五輪の代表選考レースになった名古屋ウィメンズだった。
レース前日の朝、神戸にいた野口はいつものように朝練習に出かけようとした。すると、廣瀬コーチと山口秀美マネージャーが「ついていっていい?」と車で野口の後ろをついてきた。信号で止まると、車窓越しにふたりの表情が見えた。
「ふたりとも神妙な表情をしていて、これが最後の朝練になるので目に焼き付けておこうみたいな感じだったんです。その後、神戸から名古屋に移動してレース当日、監督やコーチにアドバイスをもらうんですけど、廣瀬さんが『俺、もう無理や』と泣いているんですよ。山口マネージャーが『廣瀬さん、ここは泣くところじゃないですよ』って落ち着かせてくれて。最後に『おまえの走りをしてこい』と声を振り絞って言って送り出してくれたんです」
廣瀬コーチ、山口マネージャーの気持ちを受け止め、野口はスタートラインに立った。
「いよいよ最後。でも、あきらめない」という気持ちで号砲を聞いた。序盤の5km過ぎで先頭集団から脱落するも、沿道からの大きな声援に応えて走り続けた。結果は23位に終わったが、ゴールでは廣瀬コーチが待っていてくれた。もう涙はなく、笑顔で迎えてくれた。
「かっこいい終わり方ではなかったですけど、(高校を卒業して実業団に)入社時、脚が壊れるまで走りますと言ったことを貫いたマラソン人生でしたし、有言実行で終われてよかったと思いましたね」
レース後、テレビ中継の解説をしていた高橋尚子が、舞台裏で「みずきちゃん、よくがんばったね」と声をかけ、やさしくハグをしてくれた。
「その時、高橋さんに初めて『憧れていました』と伝えたんです。現役時代に同じ競技者として憧れていることを伝えてしまうと、その人を超えられない。憧れという言葉を言ってはいけないと思っていたんです。野球のWBCで大谷翔平選手が『憧れるのはやめましょう』と言いましたが、私の方が少し早くそう思っていました(笑)」
翌月、野口は現役引退を発表した。
3 / 4