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【レジェンドランナーの記憶】「こけちゃいました」で時の人となった谷口浩美、1991年東京世界陸上は「パーフェクトなマラソンだった」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【マラソンで強くなれた3つの理由】

 なぜ、ここまで強くなれたのか。

「3つあるんですが、ひとつは私が単純だからでしょう(笑)。同じチームに宗兄弟という五輪選手がいるので、その人たちと同じことができたら自分も五輪に行くことができるんじゃないかと思ったんです。結果的に、それが五輪を目指すスタートになったのですが、宗さんたちについていくことで気がついたら強くなっていました」

 もうひとつは、レース100日前からのトレーニング方法を学び、確立させたことだ。

「高校時代から練習日誌をつけていたんですが、マラソンをスタートした時もつけていました。さらに、宗さんとの練習からトレーニング方法やレースまでの持っていき方などを学び、自分のなかで消化していきました。それをベースに自分用に本番100日前からのトレーニングメニューを作り、こなすようにしていったんです」

 当時は、パソコンがないので手書きで1カ月ごとに分けて練習メニューを作り、自分の状態なども記していった。

 3つ目は、緻密なレース戦略だ。

1985年の福岡国際の時は、自分が作成したスケジュールに沿って練習をこなし、出場する選手の性格やスパートのタイミング、何に気をつけたらいいのか、そういうデータや分析を織り交ぜ、表やレースの台本を作っていました。本番は30km手前で先頭集団から遅れたのですが、徐々に前に追いついたんです。そこで新宅(雅也)先輩がスパートして競う展開になり、私は2位でした。

 台本通りにいかない時もあるんですけど、それもマラソンですし、レースを組み立て、ここを我慢したら展開が変わるとか、そういうのを楽しみながら走るのもマラソンの面白さだなって思って走っていました」

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