箱根駅伝2025 2年前、直前のケガで最後の箱根を走れなくなった國學院大主将・中西大翔は「なんでこんな時に」と涙を流した (2ページ目)
【「部内ではいざこざもあった(苦笑)」】
キャプテンの仕事は多岐に渡る。例えば、性格や競技力、意識の異なる選手が60人もいると部内でよくトラブルが起こる。その仲介役や相談役も求められた。
「部内ではけっこういざこざがありました(苦笑)。正直、僕が間に入る話でもないんだけどなあと思いつつ、お互いの意見を聞いて、ふたりで話し合いをさせたりしていました。そういう小さな綻びからチームは崩れていくし、雰囲気が壊れていくので、そこは副キャプテンの力を借りながらけっこう気を使って解決していきました」
副キャプテンは4年生ではなく、3年の伊地知賢造(現・ヤクルト)と鈴木景仁(現・富士山の銘水)だった。同じ学年であれば愚痴をこぼせることもあるだろうが、3年生だとそうもいかない。だが、実際は3年生の副キャプテンにかなり助けられた。
「ふたりはすごく弁が立つというか、言葉がうまいんです。自分は言葉を発するのが苦手なタイプだったので、そこはすごく助かりました」
一方で、3年生の副キャプテンから苦言を呈されることもあった。
「自分たちは4年生として考えてチームを引っ張っていたのですが、3年生からすればまだまだ物足りないという意見がありました。でも、それを言ってくれてむしろ良かったです。自分たちだけでは気づかないことがありますし、同じ学年だと甘く考えてしまうところがあるので、そういう意見を聞いて、もっと4年生として頑張る姿を見せていこうと、上級生がまとまることができました」
駅伝シーズンに入ると、上級生と下級生が噛み合い、出雲駅伝は2位、全日本大学駅伝も2位と結果を残した。だが、中西はその結果を素直に喜ぶことができなかった。
「ふたつの駅伝で2位になり、自分がキャプテンとしてチームを引っ張っていけている安心感はあったんです。でも、チームのみんなに笑顔がなかったですし、自分も素直に喜べなかった。この戦力なら優勝できる、もっと戦えると思っていたので」
全日本が終わってから、箱根までチームは難しい時期に入る。箱根の16名のメンバーが決まるまでは、ボーダーライン上の選手は生き残りをかけた選考レースに臨み、レギュラークラスの選手は記録会に出るなど、自分の記録を追求していく。それぞれのベクトルに分かれて進んでいくことになるからだ。
「全日本後は個人記録を狙ってレースに出る選手と箱根選考に賭ける選手で、それぞれ流れが異なり、足並みが揃わないので、箱根に向けてひとつになるのはちょっと難しかったですね。ただ、寮での生活面がそれでギクシャクするのは違うなと思ったので、そこはキャプテンとして、寮ではみんなリラックスして過ごして、試合では集中してメリハリをつけていこうという話をしました」
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