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100mハードラー田中佑美がオリンピックを振り返る「『怖い』よりも『楽しい』。パリは『自分の大会』だった」 (2ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Wada Satoshi

【日本選手権が終わった夜は寝られず...】

── 結果的には、40の出場枠のうち、ワールドランキング39番目で滑り込みました。

「寺田明日香さん(元日本記録保持者)の旦那さんがランキングを整理した資料を作られていて、日本選手権が終わった日に『佑美ちゃん、ギリギリだから』って共有していただいたんです。それを見ながら、他国の選手権をずっと追っていました。

 その当時、私はボーダーライン上にいたのですが、マダガスカルの選手に抜かされてしまいました。一方で、私の2個上にいたポーランドの選手が、ポーランド選手権で予選落ちして追加のポイントが取れず、私よりも下の順位になりました。そこで順位が入れ替わりました。

スタジオ撮影ではトラックとは違う表情を見せた photo by Sano Mikiスタジオ撮影ではトラックとは違う表情を見せた photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る 40番目のハンガリーの選手は顔見知りだったのですが、ハンガリー選手権の決勝が機械トラブルで手動測定になり、手動だとタイムに振れ幅があるので遅いタイムとして換算され、ポイントを伸ばせませんでした。そこでも私の順位が上がりました。

 本来全員が力を発揮していれば、もしかしたら私は41番目だったかもしれません。(ライバルに)計測トラブルや予選での失敗があって、私はギリギリ39番目での出場となりました。

(獲得したポイントの高いほうから)5試合が対象で、そのうち3試合が国内で、2試合が海外のレースでした。その2試合に出場していなければ間違いなくポイントは足りていなかったので、少なくともオリンピックのスタートラインに立つという点で、(海外のレースに積極的に出るという)レース戦略は間違っていなかったと思っています」

── ワールドランキングが確定するまでは、夜も眠れなかったのでは?

「日本選手権が終わった日の夜は、ほぼ寝ていないですね。普通に電気を消して眠りにつこうとしたんですけど、『あれを調べていなかったな』って起きて、携帯をいじる。で、もう1回、眠りにつこうとするけど、『もしかしたらハンガリー選手権のリザルトが出てるかもしれへん』と思って、起きてまた調べる......。ハンガリー陸連のホームページでオリンピックの選考条件を翻訳しながら調べるなどの作業を、夜中ずっとしていました。

 確定するまではけっこう時間が空いたので、逆にクールダウンしていました(笑)。自分で調べられるかぎりではオリンピックに行けるけど、何が起きるかわからない......って思いながら過ごしていました」

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