名門カンザス大に進学し急成長!ノーマークからU20日本選手権優勝の樋口諒が明かす現地の「恵まれた環境」 (3ページ目)
【文武両道に目覚め屈指の進学校へ】
ーー少しさかのぼって話を伺いします。子どもの頃、家族の教育方針のようなものはありましたか?
樋口家は、両親と今高校生の妹、あと中学生と小学生の弟2人の6人家族で、僕は4人きょうだいの一番上。教育方針っていうのかどうかわからないですけど、けっこう放任というか自分の好きなようにやらせてもらえたのかなと。
両親はあまり口出ししてこないですし、陸上を始める時も僕が「陸上やるから!」と言ったら「頑張れ!」って感じで。始めてからは、送り迎えとかサポートをしてもらって、でも結果に関してまったく何も言われず、"放し飼い"みたいな感じでした(笑)。
ーー陸上を始めたきっかけというのは?
父が野球をしていたことがあって、僕も小学生と中学生の時は野球をしていたんです。中学では野球をやりながら、陸上は大会だけ出るみたいな感じでした。野球はそれほどいい成績は残せなかったですが、陸上は県大会まで進めたりしました。
ーー中学時代の勉強についてですが、得意科目と不得意科目は?
得意というか、社会は好きでしたね。歴史はいろんな背景を考えるのが好きでした。あと、地理も地図を見るのが楽しいかなって。暗記が得意だったので、中学の時は基礎知識をまんべんなくつけていた感じで、不得意科目はなかったです。文武両道で頑張ろうと思ったのは中学生の頃からになると思います。
ーーその後、進学校の愛知県立一宮高校に入学。
僕が住んでいた稲沢市では、名古屋市の高校に行く子もけっこういるんですけど、僕は別に名古屋への憧れもなかったので、地元の尾張地区で一番賢いところへ行ければいいかなって思ってました。一宮高は陸上部もそこそこ強かったので、入ったら勉強もしながら陸上も一緒にやろうって(いう気持ちで)固まっていた感じです。
ーー毎年東京大に10名前後、京都大に20名前後が合格するという進学校です。樋口さんの当時の成績は?
入学当初は東大や京大にも行けるんじゃないかと思っていたところもあったので、とりあえず、勉強は頑張れるだけやっていこうかなと思ってました。定期テストは、320人中の100番くらいを目標にして、結果的には全体の半分くらいでしたかね。やっぱり、周りのレベルがすごく高いんですよ。
ーー高校時代の陸上のほうはどんな感じでしたか?
中学の時は1500mをやっていたんですが、その時は全国にかすりもしないくらいのレベルだったので、高校からは800mを中心に頑張って、インターハイに出たり、U18の日本選手権で3位になったりしました。
高校2年になった頃からは、陸上もするなら(進学先は)関東かなと思っていたので、筑波大学は魅力的だなと思うようになってきてました。
ーー当時の樋口さんは、勉強もできるし、インターハイにも出てるし、一宮高のクラスメイトからはリスペクトされていたんじゃないんですか?
一宮高だと、勉強は周りのみんなのほうができていたのですが、スポーツでインターハイに行く子はなかなかいなかったんで、スポーツという点だけに関しては、僕が頑張っているっていう印象をみんなも持ってくれていたんじゃないかなと思っています。
ーー後編では、カンザス大に入学した経緯や今後の展望を聞いていきます。
カンザス大周辺の風景 写真/本人提供
後編<「目立った存在ではなかった僕みたいな選手でも夢が広がっている」カンザス大・樋口諒が示す陸上留学の選択肢>を読む
【プロフィール】
樋口 諒 ひぐち・りょう
2005年、愛知県生まれ。中学時代から陸上大会に出始め、一宮高校3年の時にはインターハイ男子800mに出場。卒業後はアメリカのカンザス大学に進学。2024年のU20日本選手権・男子1500mで優勝。趣味は書道と映画鑑賞。
著者プロフィール
門脇正法 (かどわき・まさのり)
マンガ原作者、スポーツライター。1967年、埼玉県生まれ。日本女子体育大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。アニメ『ドラゴンボールZ』の脚本家である小山高生氏からシナリオを学び、マンガ原作者デビュー。特にスポーツアスリートの実録マンガを得意としており、『世界再戦ー松坂大輔物語ー』(集英社/少年ジャンプ)、『好敵手ー室伏広治物語ー』(同)、『闘球「元」日本代表ー福岡堅樹物語ー』(集英社/ヤングジャンプ)の原作を担当。現在はマンガの原作だけでなく、「少年ジャンプ」のスポーツ記事特集『ジャンスタ』を中心に、『webスポルティーバ』の「文武両道の裏側」など、スポーツライターとしても活躍中。著書に『バクマン。勝利学』『少年ジャンプ勝利学』(ともに集英社インターナショナル)などがある。
3 / 3