パリオリンピック陸上・田中希実が「泣きながら電話をかけてきた日」 ランナーの母が明かす家族だけに見せる素顔 (2ページ目)
【「決めたことはやらないと気が済まない子でした」】
田中希実は、幼少期から両親と共に走ることに親しんでいた 写真提供/ご家族 千洋さんは1997年の北海道マラソンで、市民ランナーながら優勝しているが、実業団選手として3000m障害などで活躍した田中健智コーチが、千洋さんの練習パートナーだった。ふたりは1997年10月に結婚。1999年に長女の希実を出産し、2002年名古屋国際女子マラソン(現名古屋ウィメンズマラソン)では2時間29分30秒と、日本人経産婦選手として初の2時間30分突破を果たした。
千洋さんは2003年に2度目の北海道マラソン優勝を飾り、2005年には次女の希空(のあ)さんを出産。希空さんは現在、京都光華女子大2年で昨年の全日本大学女子駅伝にも出場している。田中家は家族4人全員がランナーで、姉妹は小さい頃から両親と一緒にレースを走っていた。
「親子マラソンによく出ていましたが、無理矢理は嫌だったので『走らなくてもいいよ』と何回か言ったことがありました。でも希実は『走るっ!』って言って必ず走っていましたね。走るたびに成績が良くなったので、その頃は一緒に走ることが楽しかったです」
ランニング以外でも、「決めたことはやらないと気が済まない子」だった。「ボタン付けを私が代わりにやってあげようとしたら、『自分でやる』と言って私の手をはたいて。一度決めたことは絶対にやり通しますし、曲げたりしない子どもでした」
その性格はランニングでも変わらなかった。近年は健智コーチと話し合って練習メニューを変更することもあるが、以前は設定タイムや本数など、やると決めた練習は必ずやり遂げた。精神面で家族に"甘え"を見せることはあっても、トレーニングや日常生活における甘えはいっさいない。「私は調子が悪かったら『あかんわ』と夫に言って、3本を2本にしたりしていましたが、希実は変更するのを嫌がります」と千洋さん。
その性格が、アスリートとしての田中をここまで成長させた。中学3年時の全日中1500m優勝を皮切りに、高校時代は全国タイトルこそ獲れなかったが上位入賞を続け、大学1年(学連非登録)時の2018年にはU20世界陸上3000mに優勝。2019年以降は世界陸上とオリンピックすべてに出場している。日本記録は1500mで4回、5000mで2回更新。1500mは21年東京五輪で8位に、5000mは昨年の世界陸上ブダペストで8位に入賞した。
しかし競技成績が上昇しても、千洋さんの思いは複雑だ。「夫も私も普通の親として応援したかったんです。競技者を近くで支える存在ではなく、指導は外部の方に任せて。それでオリンピックに2回も出場できていたら、大喜びで応援に専念していたと思います」
千洋さんは小野高校時代に兵庫県でトップクラスの選手だったが、高校卒業後、5年間は競技を離れていた。しかし走ることへの思いが募り、市民ランナーとして活動を始めた。マラソンで日本トップレベルに成長するには当然、ハードな練習もこなしていた。だが気持ちのどこかで走ることを楽しむ余裕があった。
田中も走ることが好きであるのは間違いないが、「何のために走っているのかわからなくなる」とこぼすことも増えたし、「この走りでは自分ではない」ということも口にする。妹の希空は競技レベルこそまだ低いが、自己ベストを目標に努力し、レースで思うように走れなくても切り換えが早い。前向きに走ることを楽しむ姿勢は千洋さんに近い。
「小、中、高の時からずっと変わらず思っているのは、『こけないで、ケガしないで』ということです。妹の希空もまったく同じで、それが一番です。希実は私からしたら、そんなこと絶対に無理や、と思うことをやり遂げてきました。家では小学校の頃から何も変わっていないのに、外では(競技では)無理という概念を覆す選手になっていました」
2023年に実業団チームを離れてプロになったことで、田中がさらに「自分が結果を出さないと周りが大変になる」という意識が強くなったのがわかった。千洋さん自身もランナーだから、田中の競技レベルのすごさも、そこに達するにはどんな努力をしないといけないかも、肌で理解できる。だが同時に、走ることを仕事としても、楽しむ余裕を持ってほしいと思っている。
著者プロフィール
寺田辰朗 (てらだ・たつお)
陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の"深い"情報を紹介することをライフワークとする。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。「寺田的陸上競技WEB」は20年以上の歴史を誇る。
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