田中佑美の「もうひとつの顔」 陸上100mハードラーがユニフォーム姿から華麗に変身! (4ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Wada Satoshi

【東京五輪を目指す真摯な気持ちがなかった】

── とはいえ、高1の日本ユースで全国2位、そして、2年、3年とインターハイ連覇を果たしています。そこにターニングポイントがあったのでしょうか。

「中学、高校の戦績に関しては、ずっと"棚からぼた餅"気分でしたが......(笑)。ターニングポイントは、中学から高校でハードルの規格が変わって、高さが上がり、ハードルの間隔が広くなったことです。

 小さい頃から陸上をしている子たちは、ラダーやミニハードルなどで脚を素早く動かすトレーニングを早くからしていると思うんですが、私はそうではなかったので、素早く体を動かすことが苦手でした。なので、中学の規格の短いハードル間、低いハードルは私の体にあまり合っていませんでした。高校になって、自分に合った高さ、間隔になったので、それがよかったのかなと思います」

── 高校、大学と各カテゴリーで日本トップとなり、国際大会も経験しました。このあたりから上のステージを見るようになったのでしょうか。

「う〜ん。想像力に乏しいのか、自分が関わる範囲や自分の手が届く範囲しかわからない。というか、興味を持てないんです。

 コロナ禍の前、学生時代にも東京オリンピックを目指せるポジションにはいましたし、もちろんひとつの目標として努力はしていました。でも、あまり具体的ではなかったかもしれないですね。そこに真摯な気持ちがなかったと思います」

── 大きな目標を立ててそこに向かっていくというよりは、ひとつひとつをクリアして、その結果としてそこにたどり着ければいい、というお考えなのでしょうか。

「そうですね。学生時代は、もちろん日本選手権は自分のなかで大きな試合でしたが、それと同じくらい、チームで挑むインカレが大切でした。

 社会人になってからは周りに世界レベルの選手が増えましたし、海外遠征を通して『世界ってこんなところなんだ』っていうことがわかりました。それで、よりいっそう心を入れて、世界を目指すようになったと思います」

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