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箱根駅伝までの「この2カ月に何があった!?」 OB服部勇馬が驚嘆した東洋大の総合4位「2区、4区を乗り切れたのが大きい」 (2ページ目)

  • 牧野 豊●取材・文 text by Makino Yutaka

【2区・4区を乗り切れたことが大きい】

 酒井監督はレース後、服部が言う「この2カ月」、細かくいえば全日本後に危機感をチーム全体で共有できたこと、11月下旬以降はケガから復帰した松山が主将としてチームをまとめてくれたことを好成績の大きな要因に挙げた。

 服部はその概要を聞くと、東洋大の選手たちの本戦までの心情を踏まえ、その戦いぶりを振り返った。

「選手って、どうしても結果が悪いとネガティブになってしまうものです。それが外部の人間が見ても状態が悪いとわかるくらいなら、なおさらです。でも、やっぱり本当に自分たちがやるべきこと(目の前の練習に真摯に取り組む、きちんとした日常生活を送る)を明確にして取り組んだからこそ、結果につながったと思います。今回は、100点満点と言っても良いのではないでしょうか。

 流れを見れば、2区の梅崎選手の走りで勢いがついたと思いますが、3区の小林、4区の松山も並走する速い選手につきながらレースを進められたので、そうした巡り合わせも大きかった。

 5区以降の選手は僕自身もどのような走りをするかわからなかったですが、2区、4区を乗り切れたことが10区までの流れにつながったと思います。7区で少し後れを取りそうになったところ(区間19位)を8区でカバーした(区間10位)あたりも、チームとして戦えた象徴だったと思います」

 東洋大は「その1秒をけずりだせ」、「鉄紺」というキーワードでチームの意志を表現するが、今季は「鉄紺の再建」をテーマに向かってきた。今回の箱根駅伝の結果により、その第一歩を踏み出すことができた。

「ここ数年アップダウンのある状態が続いてきたので、来季以降に立て直しのできる状態に戻せたと思います。その点は、酒井監督の手腕が光ったと言えるかもしれません。今は一OBとして応援していますが、はい、ほっとしました(笑)」

 服部自身は、東京五輪は熱中症の影響もあり73位。そのダメージからの回復にしばし時間を要したが、マラソンのトップシーンに戻るべく、本格始動している。正月のニューイヤー駅伝では昨年がアンカーの7区で区間賞、今年も7区を務めてトヨタ自動車の8年ぶりの優勝に貢献し、フィニッシュテープを切った。

 3月の東京マラソンに8年ぶりに出場する予定で、1月上旬から約1カ月半、ケニアの高地で合宿を行なう予定である。

「僕の中ではここまで予定どおり順調に来ていますので、いい練習を積んで臨みたいと思います」

 前評判を覆した後輩たちの「鉄紺魂」に刺激され、服部もまた走り始めていく。

前編:東洋大OB服部勇馬が箱根駅伝2区を走った青学大・黒田や駒澤大・鈴木らの走りを分析

全日本実業団駅伝で優勝テープを切った服部勇馬 photo by Yohei Osada/AFLO全日本実業団駅伝で優勝テープを切った服部勇馬 photo by Yohei Osada/AFLO

【Profile】服部勇馬(はっとり・ゆうま)/1993年11月13日生まれ、新潟県出身。仙台育英高(宮城)→東洋大→トヨタ自動車。中学時代から全国レベルの選手として活躍。大学入学後は1年目から主力として活躍し箱根駅伝では9区区間3位、2年時からは3年連続でエース区間の2区に出走し2年時は総合優勝に貢献、3、4年時は2年連続区間賞を獲得した。トヨタ自動車入社後はマラソンに本格的に取り組み、2019年の東京五輪代表選考会のMGCで2位となり日本代表に内定。1年延期となった東京五輪では熱中症の影響もあり73位。その後、しばらくレースから遠ざかるが、2022年秋から本格的に競技を再開し、ニューイヤー駅伝では2023年7区区間賞、24年は7区区間3位で8年ぶりの優勝に貢献した。

著者プロフィール

  • 牧野 豊

    牧野 豊 (まきの・ゆたか)

    1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。229月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。

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