マラソンでパリ五輪を狙う細田あいのターニングポイント 悩みから抜け出し感動した瞬間 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by YUTAKA/アフロスポーツ

【ケガがなければ世界とも戦える】

 細田が大学4年間で、最も印象に残った駅伝は4年時の全日本大学女子駅伝だという。

「チームは優勝を狙っていましたし、最後の学年だったので、自分の役割を果たさないといけないと思っていました。チームは7位と悔しい結果に終わったんですが、個人的には3区で区間賞が獲れて、いい走りができたので、やり切れたという気持ちでいっぱいでした」

 細田の陸上人生に大きな影響は与えたのは、この時の駅伝の経験もそうだが、大学2年時のケガも非常に大きかった。

「自分の陸上人生の最初のターニングポイントでした。2年の最初の頃はケガが多くて、ぜんぜん走れず、もう陸上をやめようと考えた時があったんです。そんな時、ずっとケガをしていた先輩が復帰して、すごくカッコいい走りをしていたんです。その時、初めて人の走る姿を見て感動しました。先輩が苦労してすごく頑張っている姿を見てきたので、余計に感動したのもあるんですけど、私も先輩みたいになりたいと思いました。復帰した私を見て、後輩たちに感動してもらえたらいいなって。そこからまた競技に前向きに取り組めるようになったんです」

 ケガから復帰し、大学2年時の世界クロカン(世界大学クロスカントリー大会)では個人9位、団体では優勝した。ケガさえなければ、十分走ることができる。世界とも戦える。その気持ちが着火剤になり、大学3年には関東インカレで5000m10000m2冠を達成するなど才能が開花した。

「フォームの改造が大きかったですね。日常生活から意識して、階段を上がる時もフォームを意識していましたし、筋トレもしていくことでケガが減ったというか、しなくなりました」

 細田は、もともと蹴りが強い走りで、外側に巻くような走り方をしていた。膝から下を使うのだが、そのための筋力がともなっていなかった。そのせいもあってケガが多かったが、その強化をしつつ、お尻と太ももを使って走れるように意識した。

「そのフォームがどのくらいで自分にハマったのかは、明確には分からなかったんですが、単純にケガが減ったので、よかったんだと思います」

 トラックで結果が出るようになったが、気持ちはマラソンに向いていた。

「関東インカレで勝てたのは嬉しかったんですけど、トラック自体は得意じゃなくて、将来的にもそこで勝負したいとは思わなかったです。トラックをグルグル回って走るよりもロードで、いろんな場所で走ったりするのが好きでしたし、得意というのもあったので、大学4年の時にマラソンを走ろうかと考えた時期もありました。ケガがあって至らなかったですが、やっぱり将来はマラソンだよねって思っていました」

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