「5人目のリレーメンバー」のつらい心情と耐え難い日々 伊東浩司が「アスリートとして得るものはなかった」バルセロナ五輪を振り返る (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 中村博之●撮影 photo by Nakamura Hiroyuki

【鬱々としていたバルセロナ五輪までの日々】

 日本選手権で優勝した高野と、同タイム2位の渡辺高博(当時・早稲田大)がバルセロナ五輪400mの個人種目も兼ねた代表になり、1600mリレー要員は45秒98で3位の簡優好(当時・順天堂大)と4位の大森に5位の伊東。さらに400mハードルで参加標準記録を突破して代表になった斉藤の6人となった。

 91年の実績を考慮すれば伊東も有力候補だったが、日本選手権の結果は大きかった。「走るのは無理かもしれない」と薄々感じてはいたが、7月の南部記念ではそれをハッキリ突きつけられた。バルセロナ五輪代表選手壮行会と銘打って開催された大会だったが、400mに出場したリレーメンバーは伊東のみだった。

「他の選手には『ここでケガをさせたくない』などもあり、出場したのは自分だけで、壮行レースなので日の丸のユニフォームで出なければいけなかった。その段階で『あぁ、こういうポジションなんだ』と思いました。しかもそのレースでは、リザーブといえど五輪代表選手なので負けるわけにはいけないから、それが一番しんどくて。観ている人たちにはわからなかっただろうけど、あれほど嫌な400mは人生でなかったですね。何かを試されている訳でもないですから」

 そのレースは自己タイ記録の46秒52で優勝したが、得るものは何もなかった。

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