「選手寿命を縮めるとしか思えない練習」月間1200キロを走った青学大・吉田祐也は箱根駅伝初出走で区間新をたたき出した (2ページ目)
【3年時は当日変更で箱根駅伝出走ならず】
3年時、実りの秋が訪れる。5000mは4度自己ベストを更新、秋の全カレ(全日本インカレ)の1万mで日本人トップの3位に入賞するなど、一気に表舞台に躍り出た。
「全カレは、練習の一環みたいな感じで出たんですが、暑くて湿度が高いなかのレースになり、先頭集団の選手が落ちてきたんです。それを拾っていくなかで日本人トップになれたという感じでした。タイム的にはかなり遅かったんですが、レースに勝てたこと、監督に評価してもらえたのがすごく大きかったですね。吉田は大舞台、強いんだなっていう印象を監督に与えられたことで、全日本大学駅伝の出場につながったんだと思います」
吉田は、監督の信頼をつかみ、全日本大学駅伝に出走。5区区間賞で、優勝に貢献した。
「全日本を走れたことは正直、箱根を走った時よりもうれしかったです。3大駅伝を走りたいと思っていたなかで、初めての駅伝でしたし、区間賞を獲れて優勝できた。一生忘れないでしょうね」
全日本大学駅伝での快走は、通常であればそのまま箱根駅伝につながる。全日本は箱根の前哨戦とも言われ、そこに出走する選手は体調不良や故障でもないかぎり、箱根を駆けるケースが多い。吉田も結果を出せたことで、箱根が現実的に見えてきていた。畳み掛けるように全カレ3位で出場権を得たオランダ・ナイメーヘンの15キロレースに出場し、10位になった。
「このレースで鈴木健吾(神大―富士通)さんと変わらぬタイムで走れたので、箱根も走れる自信がありました。でも、同時期に行なわれた世田谷ハーフで岩見(秀哉・現住友電工)、飯田(貴之・現富士通)ら後輩たちの結果がよくて、雲行きが怪しくなってきたんです。最終的に監督がどっちを選ぶのかというと、ハーフをきっちり走れていて、一発当てられる選手を優先するだろうと。そうなると自分が箱根を外れるかもしれないと思っていました」
吉田は、箱根駅伝のエントリーメンバーの16名に入り、10区を言い渡された。だが、箱根駅伝の復路、吉田は当日変更で鈴木塁人と入れ替わった。
「当日変更は、レースの2日前に言われました。それまでどっちつかずの状態で待たされていて、2日前に替えられるのは本当にイヤでしたね。これは長く続いてきたことですけど、当事者になるとやっぱり気持ちの負担がすごく大きいんです。実際、僕はそこで心が折れてしまいました。ただチームは2度目の3冠、箱根5連覇を目指していたので、そこでどうこう言って雰囲気を悪くするわけにもいかない。だから、自分の気持ちを必死に引っ込めていましたね。結局、優勝できず、自分の気持ちも折り合いがつかず、2月まで折れた気持ちを引きずってしまいました」
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